京都でも有数の美しい苔が境内を覆う 祇王寺 (ぎおうじ ) ・・・
(5月10日のブログ参照 )
いまは整然と佇む山寺ですが、
明治時代以降は荒れ果てていたそうです。
その祇王寺をよみがえらせたひとりの女性がいます。
高岡 智照 (たかおか ちしょう 1896年ー1994年 )
本名は高岡 たつ子
奈良県生まれ。
12才の時、大阪の花柳界に売られ舞妓となりました。
(写真はその頃 )
15才の時、愛欲のもつれから自らの小指を切り落とし
けじめをつけるなど、
早熟で、直情的な気質の片鱗を現しています。
その後、
東京 新橋で照葉 (てるは ) と名乗り芸者に ・・・
彼女の美貌は評判となり、
絵葉書 (写真 ) にもなりました。
23才の時、相場師と結婚。
アメリカ、ヨーロッパなどを外遊。
写真は、その頃ニューヨークで撮ったものです。
写っている女性は
愛人 (同性愛の相手 ) だったとも伝えられています。
それからの彼女の人生は、
離婚、奔放な愛の遍歴、自殺未遂の繰り返し ・・・
荒波の人生を生き抜くことに疲れ果てたのでしょうか。
38才の時に出家 ・・・
法名 = 智照尼 (ちしょうに )となります。
そして、40才の時、祇王寺の庵主となり、
彼女の強い情念は、
念仏と寺の復興に向けられるようになりました。
(晩年の智照尼 )
元来、
人を惹きつける力の備わった女性だったのでしょう。
彼女が庵主となって以来、
多くの人が祇王寺に足を運ぶようになりました。
彼女の人生は、
自著 『花喰鳥 (はなくいどり ) 』 の中に
読み取ることが出来ます。
(1984年出版 )
また、瀬戸内 寂聴 (せとうち じゃくちょう ) は、
彼女をモデルに
小説 『女徳 (じょとく ) 』 を著しています。
(1968年出版 )
(境内にある智照尼の墓 )
何度も自死を図った女性は、
98才という大往生を遂げました。
祇王寺の見所のひとつ 『吉野窓 』 ・・・
光の角度と木々のざわめきにより、
刻々と色を変えることから 『虹の窓 』 とも呼ばれています。
平家物語が伝える祇王寺の悲恋の物語り ・・・
窓に映る諸行無常を、
智照尼はどんな思いで見つめていたのでしょうか ・・・
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