
1970年代に登場し、瞬く間に熱狂的な
ファンに支持されるに至った劇団
「維新派 (いしんは)」 ・・・

松本 雄吉 (まつもと ゆうきち)
1946年熊本県生まれ。
大阪教育大で美術を専攻し、
卒業後 大阪の下町で
維新派を旗揚げしました。

(劇団 天井桟敷)
1960年代、
奇才 寺山修司 (1935年ー1983年) が
率いる劇団 『天井桟敷』 は、
多種多様な演劇集団の
先駆けとなりました。
ちなみに、小劇場などと呼ばれた
そんな演劇活動の全盛期、
東京だけでおよそ2000の
劇団があったそうです。

関西では1980年代、
『劇団そとばこまち』 や、

『劇団 新感線』 などが台頭し、
独自の表現世界を確立させました。

維新派の個性は際立っていました。

『更地から更地へ』 というコンセプト。

つまり、
大自然の中であれ都会の中であれ、
そこに巨大なセットを建てる ・・・

公演終了後それを撤収し再び更地に。
その時 『釘一本残さない』 というのが
維新派の美学。
維新派 - ishinha - 『蜃気楼劇場』
(DVD映像)
セッティングから撤収までの様子です。
アマハラ AMAHARA
独特のセリフ回しはオペラ、また、
大阪の ケチャ などと称されることも。

2016年、
松本雄吉さんは帰らぬ人となりました。
絶対的なリーダーを
失った維新派は解散。
そして、伝説に。

最近、創成期のメンバーを中心に、
維新派が復活するという噂が
時々聞こえてきます。

是非実現してほしいものです。
JFK-World
維新派、松本雄吉氏・・何もかも、私の知らない世界、理解のできない世界の人々です。
コロナのせいで、日本に閉じ込められた貴方が、大阪を中心に、私の知らない世界を、日々発信されています。
維新の松本氏も、大阪のショップを経営する人たちも、「融通無碍」の日本人ですね。いい加減そうに見えて、そうでなく、何でもありの逞しさには、「八百万の神の国」の日本人そのものにも、見えます。
形通りのことしか考えない私と違う、同世代に生きる不思議な日本人を、貴方が教えてくれます。
お礼を言わずにおれません。
「何でもありの逞しさ」 ・・・ いい言葉ですね。
それに責任が伴えば、かっこいい大人と言えるのでしょう。
これからもよろしくお願いいたします。