Bernice Pauahi Bishop
バーニス パウアヒ ビショップ (1831年ー1884年 )
パウアヒ王女として知られる彼女は、カメハメハ大王のひ孫です。
カメハメハ大王直系最後の子孫でもあった彼女ですが、
国政に関わる道は選ばず、周囲の反対を押し切って、
アメリカ人実業家と結婚しました。
Charles Reed Bishop
チャールズ リード ビショップ (1822年ー1915年 )
ニューヨーク生まれのビショップは、
24才の時にハワイに渡りました。
アメリカ領事としての職を得たビショップは、
1850年、パウアヒ王女と結婚しました。
その後、『First Hawaiian Bank 』 の設立など、
実業家として大成功を収めます。
およそ100年にわたるハワイ王国の王制 ・・
カメハメハ5世 (第5代 ハワイ国王 ) までは
カメハメハ大王直系の世襲でしたが、
第6代 ルナリロ王 (在位 1873年ー1874年 ) は
選挙 (有力者による ) で選ばれた国王です。
ルナリロ王の短い在位の後 国王の座についたカラカウア王も
選挙で選ばれています。
(3月2日のブログ参照 )
カメハメハ大王直系の断絶 ・・
ハワイ王国の終焉は、
既にこの時始まっていたともいわれています。
パウアヒ王女は、
幼少の頃より王族との婚姻が期待されていました。
しかし、彼女はそれを拒否 ・・
カメハメハ5世の死去の後、
王位に就くことを望まれるも頑なに拒みました。
彼女は、夫であるビショップの協力を得て、
晩年の1883年、
ハワイの子どもたちに伝統的な教育の機会を与えるため、
『カメハメハ スクール 』 の設立を計画します。
彼女の死後、1887年、彼女の夢は実現しました。
現在、『カメハメハ スクール 』 は、オアフ島を中心に、
マウイ島、ハワイ島で運営されています。
また、1889年、妻の死を悼んだビショップは、
ポリネシアの文化を後世に遺し伝えていくべく
『Bernice Pauahi Bishop Museum 』
バーニス パウアヒ ビショップ 博物館を設立しました。
王族に生まれながら王族であることを受け入れず、
しかし、ハワイの子どもたちの未来に思いを馳せたパウアヒ王女 ・・
そして、ハワイ王国の存続に尽力しながらも、最後は幽閉され、
ハワイ王国の終焉を見届けたリリウオカラニ女王 ・・
(2月2日、7月2日のブログ参照 )
同時代を生きたふたりの女性の数奇な運命です。
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