
Kamehameha I
カメハメハ 1世 (1758年ー1819年 )
カメハメハ大王の名前で知られ、日本でも有名な王は、
ハワイ島最北端に近い
『Kohala コハラ 』 という場所で生まれました。
実は、生年は定かではありません。
史実によると、カメハメハ大王の生年とされる1758年には
ハワイ島上空をハレー彗星が通過したという記録があり、
大王を神格化するために
この年を生年としたという説があります。

Puukohala Heiau
プウコハラ ヘイアウ
ハワイでよく耳にする 『Heiau ヘイアウ 』 とは、
広く 『神殿 』 を意味します。

ハワイ島北西部 コナ コーストに残るこのヘイアウは、
ハワイ諸島に残る最大のヘイアウ跡です。

カメハメハ大王の
ハワイ島統一の重要な足がかりとなったのが
この 『プウコハラ ヘイアウ 』 です。
(2月 1日のブログ参照 )
ハワイ諸島が、島ごとに首長が支配する時代から、
全島統一へと向かおうとする時代に
カメハメハ大王は生まれました。
その頃 (1780年代 )、ハワイ諸島は、
マウイ島の首長 Kahekili カヘキリ (1734年ー1794年 ) の
ほぼ手中にありました。
当時のハワイ島は、北部 Kona コナをカメハメハ、
南部 Kau カウを Keoua ケオウア、
東部 Hilo ヒロを Keawe ケアウエという
それぞれの首長が支配する群雄割拠の時代でした。
つまり、ハワイ島のこの三首長だけが
カヘキリへの対抗勢力だったのです。

それぞれの首長がハワイ島支配を目論む中、
ヒロの首長 ケアウエは、
カウの首長 ケオウアに攻め込まれ滅びます。
(共倒れを画策したカヘキリの謀略といわれている )
1779年、
イギリス人 キャプテン・クックがハワイ島に上陸しています。
その後、
相次いでもたらされるヨーロッパの文化を
いち早く取り入れたのはカメハメハ大王でした。
中でも、ヨーロッパから手に入れた銃器類は、
カメハメハ大王に飛躍的な力を与えました。
1790年にはマウイ島に遠征し、
カヘキリに勝利を収めています。

そんな時、絶頂へと上り詰めようとするカメハメハ大王に、
ある予言がくだりました。
『プウコハラ ヘイアウ 』 は、ハワイ王国史の目撃者です。
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