19世紀半ばにハワイ諸島で興ったサトウキビ産業は、
膨大な労働力を必要としました。
カウアイ島も例外ではありません。
世界中から労働力としてハワイへ渡った移民は、
多様な民族による独特の社会と文化をつくりあげました。
(移民の中心は中国人、ポルトガル人、そして日本人 )
たとえば、
ポルトガルからの移民が持ち込んだ小型のギターは、
ハワイアン ミュージックには欠かすことが出来ない
ウクレレの原型となりました。
(日本人移民の写真 それぞれの名字が読み取れる。
左から ヤマモト、イマダ、カガワ、オキモト、
オカサカ、ミヤシロ )
勤勉だった日本人移民は、
ハワイにおけるサトウキビ産業の振興に最も貢献しました。
20世紀初頭には、
全移民のおよそ70パーセントが日本人でした。
(2012年6月1日のブログ参照 )
ここカウアイ島 キラウエアで増え続ける移民に目をつけた
ひとりの中国人がいました。
Lung Wah Chee
ラン・ワー・チー
中国からの移民、写真中央の人物。
19世紀後半、カウアイ島に渡ったラン・ワー・チーは、
移民を対象としたビジネスを思いつきました。
それは、移民たちが必要とする日用品を販売するという
いたって簡単なアイデアでした。
小さな雑貨店から始めたラン・ワン・チーは、
1902年、
現在は 「コン ラン ヒストリック マーケット センター 」
になっている場所に、
「Kong Lung Company コン ラン カンパニー 」
を設立しました。
(2月23日のブログ参照 )
ビジネスは大成功を収めました。
コン ラン ヒストリック マーケット センターには、
そんな歴史が刻まれています。
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