JFK-World 世界の撮影・取材地トピック

Freelance Film Director
TV-CMおよびTVドキュメンタリー番組のディレクター & カメラマン

長崎で空撮 4

2021年01月27日 | 国内旅

長崎県五島沖 で空撮を行うため、
大阪舞洲 からヘリコプターで移動 ・・・
(黒矢印がここまでの航路)



この日は、淡路島上空、四国の
瀬戸内海側を飛ぶコースを取りました。



洲本 (すもと) 市上空 ・・・



南あわじ市上空 ・・・



淡路島といえば玉ねぎ ・・・
パッチワークのような畑の風景が美しい。



南あわじウインドファーム ・・・
ここは風の通り道だそうです。


(向かって左が淡路島 右が四国)
淡路島を離れるあたりで
鳴門大橋が見えました。



大きな渦を生み出す潮の目がくっきりと。



雲間から太陽が顔を出すと、



あたり一面が黄金色に。



舞洲を離陸後約40分 ・・・



進行方向左側に香川県 東かがわ市。



続いて、多くの溜池で知られる讃岐平野。



ここで前方に雲が現れました。



一気に高度3000メートルまで上昇 ・・・



ヘリコプターは有視界飛行が原則です。
機長 は、
雲の上に出て視界を確保しました。

JFK-World
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8 コメント

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Unknown (JFK)
2021-01-31 17:14:14
原左都子さん、褒めていただいてとてもうれしいです。
ありがとうございます。
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またまた、良き話を聞かせていただきました! (原左都子)
2021-01-31 16:47:18
JFKさんて、実に尊敬申し上げるべき人材ですね!
私とてそんな人とこそ出会いたかったものの…
我が人生もこちらが支えねばならない人物との遭遇の繰り返し、と総括出来そうです…
まあ、人の人生とはそんな風に運命付けられているのかもしれませんが…
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Unknown (JFK)
2021-01-28 16:18:54
原左都子さん、
私の取り柄は体力だと思います。
あと、メンタルでいえば、バッターボックスに向かう時の心境 ・・・
『オレが何とかするから心配するな』 という気概。
仕事に向かう時もそんな心境ですね。
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そのJFKさんの不屈の精神こそが (原左都子)
2021-01-28 16:04:25
現在のプロカメラマンとしての成功に繋がっていらっしゃるのでしょうね。
カメラマンとは繊細な感性と共に、体力勝負であるようにも存じています。
すべてに於いて高校球児魂が、今尚生きていらっしゃることでしょう。
“悪ガキどもの集い”、実に楽しそうです!!
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Unknown (JFK)
2021-01-27 20:16:04
原左都子さん、
私は高校球児でした。
不可能なこととは重々承知しながら、甲子園を目指していました。
いまも当時の悪ガキが集うと、夢の続きが始まります。
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JFKさんは高校球児でいらっしゃたのですね!?! (原左都子)
2021-01-27 19:48:50
そして、四国にも遠征されたとこと。
何だか不思議な“縁”を感じさせて頂きました。
我が上京直後には、私も東海道新幹線乗継ぎで宇高連絡線にて瀬戸内海を渡り、郷里に向かったことを懐かしく思い起こしました。
我が郷里の池田高校の活躍は、やはり私にとっても社会人になった後でした。
JFKさんのプロカメラマンとしての弛まぬご活躍のお陰で、私もあの時代の郷里を鮮明に思い起こさせて頂きましたことに、心より感謝申し上げます!!
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Unknown (JFK)
2021-01-27 14:20:41
原左都子さん、コメントをありがとうございます。
私の四国の思い出は、高校球児時代の遠征です。
高知商業が強かったです。
池田はまだ台頭していませんでした。
私たちは、宇高連絡船で四国入りしました。
社会人になってからの思い出は四国大橋です。
下見で開通前に何度か歩いて渡りました。
私は、四国大橋誕生のテレビコマーシャルをやらせていただきました。
どちらも、昨日のことのように鮮明に覚えています。
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鳴門大橋、懐かしいです! (原左都子)
2021-01-27 12:47:51
四国連絡架橋のひとつ、この「鳴門大橋」の建設計画が発表された時代に、私は地元鳴門に住む高校生でした。
阿波踊り期間に「鳴門大橋架けよう連」という阿波踊りグループがその悲願の下に結束し、その一員として座敷会場に繰り出したとの懐かしくも鮮明な記憶があります。
結果としては「本四架橋計画」とは大赤字の無駄な土木建設だった事実が世間から叩かれる、との悲運を背負った橋です…
そんな苦難の運命の橋ですが、JFKさんが撮影された「大鳴門橋」の見事なまでの美しさに感涙です。
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