JFK-World 世界の撮影・取材地トピック

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TV-CMおよびTVドキュメンタリー番組のディレクター & カメラマン

新選組の絶頂から終焉

2015年06月02日 | 京都
(阿弥陀堂門 )
浄土真宗本願寺派本山 通称 西本願寺 ・・・



美しい瓦屋根の連なり ・・・



堀川通りから望む西本願寺の 『太鼓楼 』 ・・・



江戸時代には、
ここに収められている太鼓が時を告げました。


(旅籠茶屋 池田屋 6月1日のブログ参照 )
「池田屋騒動 」 の背景には、
異端分子が京に火を放つという噂もありました。
それを未然に防いだ新選組の名声は高まり、
英雄視されることに ・・・
この時点では、長州藩士を中心とする尊皇攘夷派は
朝敵と見做されていました。

注: 正確には、この写真は、
   池田屋騒動の後所有者が変わり、
   佐々木旅館となってからのもの。
   しかし、往時の姿は留めているものと思われる。
   佐々木旅館は1960年頃まで営業を続けた。



新選組隊士の数は一挙に増え (200人以上 ) 、
壬生の屯所が手狭になったため、
1865年、この太鼓楼が新たな屯所となりました。
(5月30日のブログ参照 )



1867年 大政奉還 ・・・
1868年 明治維新 ・・・ めまぐるしく動いた時代 ・・・
新選組が短い絶頂期を過ごした場所です。


(向かって左に経蔵 さらに奥やや右に太鼓楼 )
何よりも武士道を重んじた新選組ですが、
近藤勇も土方歳三も出自は農民 (江戸多摩地方 ) です。
多くの隊士の出自も、農民、町民、下級武士と様々です。
新選組は、幕府のために働き、破格の報酬を得、
いずれは幕臣になることを夢見た若者たちの集団です。
士農工商という厳格な社会構造がほころび、
ペリー来航など
鎖国政策が限界にきていた江戸時代末期 ・・・
新選組は、
(幕府存続のために ) 幕府が打った布石のひとつです。



ともあれ、広々とした西本願寺の境内で、
剣術稽古に励む若い隊士の姿が目に浮かびます。



やがて、朝敵と呼ばれた尊王攘夷派が、
圧倒的な武器量 (イギリスの支援 ) の差により
新時代を迎えるための戦いに勝利 ・・・
『勝てば官軍、負ければ賊軍 』 という言葉が生まれました。
そして、
新選組の若者たちは彗星のごとく消えていきました。


(肖像画 )
斉藤 一 (さいとう はじめ 1844年ー1915年 )
明治維新後を生き抜いた数少ない新選組隊士。
斉藤一は警察官の仕事を得ました。



島田 魁 (しまだ かい 1828年ー1900年 )
もうひとり島田魁は、
西本願寺の守衛となって余生を送りました。


(境内から太鼓楼を望む )
島田魁は、太鼓楼の太鼓番をしながら、
新選組隊士を弔う念仏を
一日たりとも欠かさなかったと伝えられています。
斉藤一、島田魁とも、
新選組のことはほとんど語らなかったそうです。

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