大門がその名残りを留める京都 「島原 」 ・・・
日本最古ともいわれる花街です。
京都には五つの有名な花街があり、
『五花街 (ごかがい ) 』 と呼ばれています。
それに島原が加わり 『六花街 』 と呼ばれることも ・・・
大門の前には柳の木 ・・・
花街には何故か柳がつきものです。
『花柳界 』 という言葉然り ・・・
(2012年1月29日のブログ参照 )
さて、島原 ・・・
いまはもう花街としての役割りは終えましたが、
島原には長い歴史があります。
(ところどころ往時の姿を偲ばせる )
豊臣秀吉の時代 (1590年頃 ) 、
柳馬場通(河原町通と烏丸通の間 ) 二条に
公許の遊郭がつくられました。
それが島原の前身です。
しかし、
御所に近いという理由などから移転を命じられます。
次に移ったのが六条三筋町 ・・・
二代目吉野太夫 (1606年ー1643年 )
井原西鶴の 『好色一代男 』 にも登場する
才色兼備の吉野太夫 (よしのたゆう ) は、
六条三筋町時代に活躍しました。
さらに、1641年、
遊郭は現在の下京区西新屋敷町に移りました。
(京の中心から離れていった )
追い立てられるような移転騒動が、
1637年に勃発した 『島原の乱 』 を彷彿させることから、
『島原 』 と呼ばれるようになったと伝えられています。
現在の島原に遺された花街時代の貴重な建物 ・・・
ここは、多くの太夫や芸妓を抱えていた
置屋 『輪違屋 (わちがいや ) 』 ・・・
(元禄年間 1700年頃 の創業。
再建を繰り返し1871年から現在の建物に )
ふたつ輪の紋はいまも見ることが出来ます。
新選組と縁の深い揚屋 (あげや ) 『角屋 (すみや ) 』
も大切に保存されています。
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