大阪コリアタウン の近く、
歴史ある写真館 ・・・
(朝日新聞記事)
先月2月23日、
ここで開催されていた
写真展を見に行きました。
「平壌(ピョンヤン)の人びと」
三重県出身のフォトジャーナリスト
伊藤孝司(いとうたかし)さんは、
1992年から43回北朝鮮を訪問し、
撮影・取材を行ってこられました。
(2017年4月 撮影)
この写真展では、写真ごとに
伊藤さんのていねいな説明がありました。
(2019年5月 撮影)
これは北朝鮮の変化を象徴する写真だと
伊藤さんは言います。
以前は、カメラを向けると
皆逃げ出したそうです。
また、地下鉄車両は
見違えるほどきれいになったと。
(2017年4月 撮影)
業者による新郎新婦の写真とビデオ撮影。
衣装は年々派手に。
このブームは地方都市にも。
(2016年8月 撮影)
ビール祭りの様子。
女性も巨大ジョッキを軽々と飲み干す。
(2019年10月 撮影)
平壌の中心 牡丹峰(モランボン)の丘。
祝日には多くの人が集まり踊りに興じる。
(2018年9月 撮影)
建国70周年の祝賀行事に声援を送る。
大人も子どもも盛装。
(2012年9月 撮影)
収穫前のトウモロコシ畑を
掘り返す農場員たち。
1945年、ソ連軍によって留め置かれた
日本人約4万人が死亡。
その埋葬地調査のため。
(2016年6月 撮影)
作業の手を止めて
託児所まで子どもたちの競技の様子を
見に来た女性農場員。
(2004年5月 撮影)
メーデーの日の職場対抗競技会。
毎年、米兵を叩く人気の種目がある。
(1998年5月 撮影)
若い女性将校。
軍人を撮影できる機会は
限られているので貴重な写真。
笑顔がとても素敵な
いまどきの女性だったと。
(2019年5月 撮影)
1960年に
北朝鮮に渡った日本人女性(中央)。
誕生日のお祝い時。
(2017年撮影)
孫を抱いているのは、
現在ただひとりとなった残留日本人。
これまでに3度帰国の機会を逃した。
(2018年6月 撮影)
訪朝した20歳年下の妹と
58年ぶりに再会した日本人女性。
この再会の背景で伊藤さんが一役買った。
臨場感のある写真と
淡々と語る伊藤さんの言葉に、
近くて遠い国の
生活感にあふれた人々の自然な姿を
垣間見ることができました。
また、
『両国には切ることのできない絆がある』
をテーマにした伊藤さんの著書も
大変興味深く読ませていただきました。
なお、近々の伊藤さんの写真展は
埼玉 3月21日(月)~27日(日)
11:00~19:00 浦和コムナーレ
(初日は13時から/最終日は18時まで)
会場:浦和コムナーレ9階
(さいたま市浦和区東高砂町11-1)
問い合わせ先:048-825-9898(金子)
新潟 4月6日(水)~10日(日)
11:00~19:00 りゅーとぴあ新潟
主催:日朝友好新潟県連絡会
鳥取 6月22日(水)~26日(日)
11:00~18:00 とりぎん文化会館
主催:伊藤孝司写真展鳥取実行委員会
です。
North Korean Song
♪イムジン河♪
流れるようなきれいなメロディですね。
JFK-World
それにしても、皆さんの笑顔が素敵な写真ばかりです。 おそらく上流階級の方々なのでしょう。
相変わらずミサイルを連射する北朝鮮ですが、こんな笑顔の平壌の皆さんの写真を見ますと何だかホッとします。
おっしゃる通りですね。笑顔の癒しは世界共通です。
今回伊藤さんと出会い、また写真展を見させていただき、無性に北朝鮮に行きたくなりました。
コロナが収束すれば・・・と考えています。
衝撃的で忘れられません。また観たいと探しましたが、見つかりませんでした。
北朝鮮に渡ってから、一度も会っていない妹に会いたいと・・・。
その後、会うことが叶ったのですね。そのことが分かって、大変嬉しいです。本当によかったです。
余命幾許かの日本人男性が、自分が死んだら火葬にしてくれ、と。自分は骨になって泳いで日本に帰る…と。涙が溢れました。
拉致問題と共に、残留日本人の問題ももっと大きく取り上げて欲しいと思いましたが、あの動画に何人も映っていた残留日本人も、今はたった一人になってしまったのですね…。(長々とスミナセン)
写真展ではDVDも販売されていました。
伊藤さんのサイトからとか、手に入れる方法はあると思います。
日本人男性のエピソードなど、貴重なお話をお聞かせいただき、うれしいです。