ビリニュス旧市街の 市庁舎広場 ・・・
(ギリシャのコリントス遺跡 )
ヨーロッパの街には必ずある 「広場 」 の起源は、
古代ギリシャの 『アゴラ 』 にあるといわれています。
(ギリシャ ロードス島 イポクラトゥス広場 )
一般的に 『市場 』 と訳されるアゴラ ・・・
元は、物々交換のための場所だったのでしょう。
やがて、広場は、
政治、軍事、宗教など多目的な集会場となり、
そして、市民の憩いの場となりました。
また、街の象徴でもある広場には、
時代を代表する建造物が建ち並びます。
市庁舎広場には、1618年に建立された
St. Casimir's Church 聖カジミエル教会 ・・・
リトアニアで最古といわれるバロック建築です。
(ドームの上の王冠が特徴 )
美しいファサードのこの教会には、
列聖された
ポーランド・リトアニア王 聖カジミエル (1458年ー1484年 )
が祀られています。
聖カジミエルは、ビリニュスの守護聖人です。
ロシアに併合された時代には、
ロシア正教教会が建てられました。
さて、日本には 『広場 』 という文化がありません。
1919年に制定された都市計画法で、
ヨーロッパ型広場の輸入が試みられましたが、
日本では根付きませんでした。
平城京や平安京、さらには江戸時代の地図を見ても
広場は存在しません。
日本で広場の役割りを果たしたものは、
寺や神社の境内、河原、収穫後の田畑でした。
つまり、日本の広場は、臨機応変な流動型だったのです。
余談ですが、
これが 『花見文化 』 の根底にあるのかも知れませんね。
ヨーロッパの広場で行われたもののひとつに
公開処刑があります。
パリ コンコルド広場 における
ルイ16世、マリー・アントアネットの斬首は有名です。
広場を持たなかった日本では、
公開処刑は河原などで行われました。
処刑の前には市中引き回し ・・・
ここでも日本は流動的です。
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