1963年、ビートルズは世界的に有名なグループとなり、
以来 「Fabulous Four 」 = 信じられないくらいすばらしい4人 ・・
『Fab Four ファブ フォー 』 はビートルズを指す言葉となりました。
Brian Epstein
ブライアン・エプスタイン (1934年ー1967年)
1961年、イギリス リバプールの有名なライブ ハウス
『Cavern Club キャバーン クラブ 』 で演奏するビートルズを観た
ブライアン・エプスタインは、潜在的な可能性を感じ取り、
ビートルズのマネージャーとなります。
注:キャバーン クラブは
ビートルズのホーム グラウンドとして知られている
George Martin
ジョージ・マーティン (1926年ー )
ビートルズのほとんどのレコードのプロデューサーで、
5人目のビートルズと呼ばれる人物です。
ちなみに、1997年ダイアナ妃に捧げたエルトン・ジョンの
記録的大ヒット曲 『Candle in the Wind 』 の
プロデューサーでもあります。
(3月23日のブログ参照 )
1962年、ブライアン・エプスタインは、
大手レコード会社のプロデューサーであったジョージ・マーティンに
ビートルズを売り込みます。
売り込みは成功し、
ハンブルク 『スター クラブ 』 での公演後の6月、
デビュー曲となる 『Love me do 』 の録音にこぎつけます。
しかし、
ジョージ・マーティンはピート・ベストのドラムが気に入らず、
これがピート・ベストのビートルズからの
脱退の理由ともいわれています。
(4月11日、14日のブログ参照 )
同年 9月、『Love me do 』 は、新しいドラマー = リンゴ・スターで
再録音されました。
ジョージ・マーティンはリンゴ・スターのドラムも気に入らず、
1週間後にスタジオ ミュージシャンのドラマーで
もう一度録音されました。
このときリンゴ・スターはタンバリンを担当しました。
結果的に発売されたのは、
リンゴ・スターがドラムのバージョンです。
以来、
ときにはアレンジャーとしてもビートルズの音楽に影響を与え、
成功に貢献したジョージ・マーティン ・・
しかし、ポール・マッカートニーは、ブライアン・エプスタインを
5人目のビートルズといいます。
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