
清泉寮 を囲む森の中に佇む瀟洒な建物。

「ポール・ラッシュ記念館」

清里の父
ポール・ラッシュ博士が暮らした家です。

ユニークな8角形の居間 ・・・

天井には大八車でつくったシャンデリア。

趣味の陶器コレクション。

ダイニングテーブル ・・・

食器のセンスがいいですね。

アルコールは
かなりお好きだったそうです。

寝室 ・・・

ラッシュ博士は、

大の親日家でした。

書斎 ・・・

母国アメリカの篤志家に向けて、
精力的に支援要請の手紙を
打ち続けたというタイプライター。

(併設している資料館)
その甲斐あってか、

(復元されたトラクター)
1952年には
第1号トラクターが清里に届きました。

博士はまた、
日本にアメリカンフットボールを
普及させた人物として知られています。

1934年、
教授として奉職していた立教大学に
日本最初のアメフト部をつくりました。

野球 しかり ・・・
アメリカンスポーツ日本伝来の
背景がおもしろいですね。

さて、
博士が掲げた KEEP という言葉 ・・・
KIYOSATO
EDUCATIONAL
EXPERIMENT
PROJECT
KEEP = 清里教育実験計画

4つの理想が込められています。

そして、これは博士がよく口にした言葉。

1897年アメリカ インディアナ州生まれ。
1979年日本(東京)で永眠。

1970年代 突然やってきた清里の喧騒は、
博士の目には
どんなふうに映ったのでしょう ・・・
Brothers Four
Green Leaves Of Summer
生きる原点のような曲ですね。
JFK-World
「生きる原点」のような曲、
まさにそうですね
私も70歳を過ぎ「命の夕暮れ」時を過ごしています。
♪遥かなるアラモ♪ という邦題はちょっと変ですよね。
私はそう思いたいです。
清く高い志を持ったポール博士に失礼でしょう!!
これから清里がどうなっていくのか、ちょっと楽しみでもありますね。