Rotten Row
ロッテン ロウ
フランス語の
『Route de Roi 王の道 』 が語源だといわれています。
William III
ウィリアム3世
(1650年ー1702年 イギリス王在位1689年ー1702年)
広く南フランスを支配した
ネーデルラント (オランダ) 連邦共和国統領が出自の
ウィリアム3世は、生まれる直前に父を亡くしたため、
誕生の瞬間から生涯 『王 』 であり続けた人物です。
1677年、イギリス王室のメアリー2世と結婚したウィリアム3世は、
1689年、イギリス王となります。
ウィリアム3世は、
「ハイドパーク」 の西の端にあった貴族の館を購入し、
これを 『ケンジントン宮殿 』 と名づけ住居とします。
王としての執務を行う正式宮殿 『セント・ジェームズ宮殿 』 は、
ハイドパークを挟んで反対側 にありました。
(2月27日のブログ参照 )
ケンジントン宮殿とセント・ジェームズ宮殿を結ぶために
ハイドパークの中につくられた馬車道 ・・
これが 「ロッテン ロウ」 です。
ロッテン ロウは、夜には安全に通行できるように、
およそ300のオイルランプが灯されました。
イギリスで最初の街灯のある道路です。
ロッテン ロウは、
19世紀には上流階級の社交場のひとつとなります。
日曜日には、自慢の馬車で乗りつけ、
着飾った紳士淑女が集う場所となりました。
(写真は19世紀末 )
注: 現在は由緒ある乗馬コースとなっている
一般に歩行通行も可能
フランス語の 『Route de Roi 王の道 』 ・・
フランス語の発音がイギリス人には難しく、
『Rotten Row 』 に転じたといわれています。
17世紀から18世紀にかけて、
広くヨーロッパでは 『フランスかぶれ』 の風潮が見受けられます。
遥かロシアにおいてさえ ・・
(2010年10月4日のブログ参照 )
太陽王 = ルイ14世の威光でしょうか ・・
当時、フランスが 『ブランド』 であったことは確かなようです。
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