聖トーマス教会の前にそびえるメンデルスゾーンの銅像 ・・
(6月3日のブログ参照 )
バッハの銅像よりも立派に見えます。
Felix Mendelssohn
フェリックス・メンデルスゾーン (1809年ー1847年 )
ハンブルクの裕福なユダヤ人家庭に生まれたメンデルスゾーン ・・
銅像に刻まれている 『Bartholdy バルトルディ 』 は、
メンデルスゾーンの父の意思によりプロテスタント ルーテル派に
改宗した際に授かった名前ですが、メンデルスゾーン自身は、
生涯この名前を好んでいなかったそうです。
経済的に余裕のあったメンデルスゾーンは、
幼少の頃より音楽に傾倒し、ヨーロッパ各地に留学し、
音楽の道をきわめていきます。
1823年 14才の時、バッハのマタイ受難曲を知り、
大きな影響を受けます。
メンデルスゾーンは、1835年 26才の若さで、
ライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者に任命されます。
ゲヴァントハウス管弦楽団は、
1743年に市民が主導で発足したオーケストラです。
宮廷音楽を中心に発展してきたヨーロッパの音楽史において、
それは画期的な出来事であったといえるでしょう。
現在の 『ゲヴァントハウス 』 は、
1981年に建てかえられたものです。
ゲヴァントハウス管弦楽団は、
貴族階級の庇護を受けない市民主導のオーケストラですから、
楽団員の待遇など、とくに金銭面で常に問題を抱えていました。
メンデルスゾーンは、
その改善のために奔走したと伝えられています。
また、当時すでに眠っていたバッハの多くの作品を発掘し、
演奏活動を通じてバッハの真価を蘇らせました。
ライプツィヒには、
メンデルスゾーンが晩年暮らした家が保存されています。
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