毎年12月の第一日曜日に行われるお祭り
社は町から離れた山の上にある
以前にも紹介した神社
なぜ?こんなところに神社を建てたのだろぉ?
って 凄い場所にある
20年ほど前に
本殿の屋根の改修をさせてもらったんだけど
大変な工事だった
重い仮設資材や材木・屋根葺き用の銅板などは
架線(ワイヤーを木から木へ30メートル~40メートル張り渡す)を
3ケ所に連続して張り
吊り揚げて引っ張り揚げ
次の架線で降ろして又積み替えて又次の架線へ吊る
といった具合にして運びあげたけど
途中からは全て人力
頂上までの資材運搬は人一人やっと通れる急な崖道を運ばないといけない
それが20年前
その後 拝殿の屋根替え工事(5年前)を又させて頂いたけど
この時も同じようにして材木・瓦を運びあげた
今年 三徳山『投げ入れ堂』へ参拝したけど
その時にあの難工事を思い出した
まぁ三徳山に比べれば規模はちっちゃいけど
でも あのふたつの工事は忘れられない

2度目の拝殿屋根替え工事の時の写真
3本目の架線の終了地点
黄色丸は2本目終了地点と3本目吊り揚げ地点で吊り揚げ作業をする人
ここからは人力で運搬
左側が背中に資材を背負って運びあげる人
まぁ 今思い出しても よくやったなぁ って思う
で 昨日は来週日曜日のお祭り前ののぼり立てや掃除
地区交代でお役が回ってくるんだけど
だいたい10~12年に一度順番が来る
朝7時から幟や掃除道具を運びあげて作業開始

↑は山の上の神社の回りを掃除する人
〆縄を春人
神殿無いを拭き掃除する人
総勢20人ほど
2時間かかって 綺麗になりました

↑作業を終え山を下りる人
〆縄の張ってある岩は
別名『たたき岩』
参拝で山を登る人は榊の枝で年の数をど岩を叩いて登れ
と言う 言い伝えがあります
ここで休憩しなさいと言う意味でしょう
又 言い伝えで
『申の刻(午後3時)以降は登っては成らない』
という言い伝えもあります
昔 修験者が禁を破って暗くなってから登り
帰って来なかった
翌朝 この岩の所で息絶えていた とか・・・・・
まぁ 険しい道だから明るいうちに参拝せよ という意味なんでしょうね
のぼりも立てられ来週のお祭りの準備完了

今日は車で2時間ほどの会場で行われる
防災講演会へ
夜は遅くなるかな?
社は町から離れた山の上にある
以前にも紹介した神社
なぜ?こんなところに神社を建てたのだろぉ?
って 凄い場所にある
20年ほど前に
本殿の屋根の改修をさせてもらったんだけど
大変な工事だった
重い仮設資材や材木・屋根葺き用の銅板などは
架線(ワイヤーを木から木へ30メートル~40メートル張り渡す)を
3ケ所に連続して張り
吊り揚げて引っ張り揚げ
次の架線で降ろして又積み替えて又次の架線へ吊る
といった具合にして運びあげたけど
途中からは全て人力
頂上までの資材運搬は人一人やっと通れる急な崖道を運ばないといけない
それが20年前
その後 拝殿の屋根替え工事(5年前)を又させて頂いたけど
この時も同じようにして材木・瓦を運びあげた
今年 三徳山『投げ入れ堂』へ参拝したけど
その時にあの難工事を思い出した
まぁ三徳山に比べれば規模はちっちゃいけど
でも あのふたつの工事は忘れられない

2度目の拝殿屋根替え工事の時の写真
3本目の架線の終了地点
黄色丸は2本目終了地点と3本目吊り揚げ地点で吊り揚げ作業をする人
ここからは人力で運搬
左側が背中に資材を背負って運びあげる人
まぁ 今思い出しても よくやったなぁ って思う
で 昨日は来週日曜日のお祭り前ののぼり立てや掃除
地区交代でお役が回ってくるんだけど
だいたい10~12年に一度順番が来る
朝7時から幟や掃除道具を運びあげて作業開始

↑は山の上の神社の回りを掃除する人
〆縄を春人
神殿無いを拭き掃除する人
総勢20人ほど
2時間かかって 綺麗になりました

↑作業を終え山を下りる人
〆縄の張ってある岩は
別名『たたき岩』
参拝で山を登る人は榊の枝で年の数をど岩を叩いて登れ
と言う 言い伝えがあります
ここで休憩しなさいと言う意味でしょう
又 言い伝えで
『申の刻(午後3時)以降は登っては成らない』
という言い伝えもあります
昔 修験者が禁を破って暗くなってから登り
帰って来なかった
翌朝 この岩の所で息絶えていた とか・・・・・
まぁ 険しい道だから明るいうちに参拝せよ という意味なんでしょうね
のぼりも立てられ来週のお祭りの準備完了

今日は車で2時間ほどの会場で行われる
防災講演会へ
夜は遅くなるかな?