小説や映画でしられるた女工哀史「ああ野麦峠」
野麦とは笹のこと。
凶作の年はこの笹の実を麦と思って食べたことから名付けられた。
戦前、製糸産業は日本の輸出産業の花型。
その製糸工業で働く女工さん達。
小説・映画は泣かせるための物でもありすべてではないようですが、
当時のことですから確かに今から見れば過酷な職場であったことかも知れません。
しかし、乙女達にとって働いてお金がもらえる最高の居場所。
まさにあこがれの職業であったとも言えます。
僕の姉もこの製糸工場で働いてました。
少し器用な女工さんですと今のお金で月50万円ほどの給与だったらしい。
支度金を積んでの引き抜きも盛んだったようです。
だがこれが遠く飛騨の国から出稼ぎとなると、
アルプスを歩いて越して信濃路に入る。
年の暮れ、蓄えたお金を持って雪深き峠を越して帰る。
疲れ果てて亡くなった女工さんもあったと記録されてる。
GW、何処も道路は渋滞。この忘れられた野麦街道は空いてました。
峠には資料館などもあり、当時のことが良く理解出来る。
綺麗に着飾った女工さん達、高級なおべべを着れたのは彼女達しかなかった?
またこのような絵も・・・
峠に迎えた来た兄の背で、
「乗鞍が見える、もうじき母ちゃんに会えるね」
と言いながら,疲労と病で息を引き取ったと言われる少女の碑です。
峠から眺めた乗鞍岳
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