私も有権者となってから32年が経ちますが、これまでの選挙の中で、ここまであからさまに政党名を掲げて否定的な見出しを付けているものは初めて見ました。どう考えても真艫な広告とはいえません。【「共産市長NO」排他的な新聞広告に呆れ】
— BLOGOS (@ld_blogos) January 26, 2020
"「大切な京都に共産党の市長はNO」-きょう26日朝の京都新聞第6ページに、排他的なフレーズで始まる全面広告が掲載された。(略)自公に加えて立憲民主党京都府連、国民民主党京都府連が名を連ねる。排除の論理には呆れる他ない。"https://t.co/sPPMdUe4NW
そもそも現職を含めて共産党に属している人はいません(全員が無所属です)。確かに福山和人候補には共産党が推薦に加わっていますが、あくまでも推薦であって所属はしていない訳です。
そうした背景がある中で、いったい何を根拠に共産党という名称を広告に掲げたのでしょうか。大々的に新聞の紙面を利用するには其れ相当な大義名分がなければなりませんが、現職の市長は説明できるのでしょうか。否、きちんとTwitterなりメディアなりで理由を言わなければならないことです。
然し乍ら、新聞に広告を載せる場合、その内容が公序良俗に反していないかが問われる筈です。そこから考えれば、推薦しているだけの政党が否定的な見出しと共に大々的に掲げられるのは公序の面で問題ではないでしょうか。
この事実が罷り通ってしまうと、今後は公序良俗の意味が変わってしまいます。とにかく金を出せば、新聞社と蜜月なら云々で好き勝手な広告を載せることが可能になってしまいます。こんな馬鹿な話はないでしょう。
そして気になるのは真下に位置している公共広告機構(AC)の広告です。この構図だと上の広告と殆ど同じ意味、又は内容に賛同しているかの様に映ります。公共性を重んじる立場の機構の広告が公序の面で問題がある広告の下に位置していて問題ないのでしょうか。
公共広告機構はTwitterのアカウントが存在しないので公式見解が判りませんが、サイトでも今回の件での公式見解が掲載されていません(最終更新は昨年の10月15日です)。これだけTwitterで問題視されているのに、彼らは何も知らないのでしょうか。
もし彼らが今回の件で何も発言しないのであれば、もう何かに転んだとしか思えません。それは同時に公共という名前の終焉でもあります😩 。