根子岳山窓

(阿蘇住人の山行記です。)

謹賀新年 2022年

2022年01月05日 15時39分42秒 | 日記

令和2年の暮れはコロナ禍の風が吹きまくっていたので
子供宅へ行くのを取り止めた。

今年(令和3)は、熊本県内でも12月から発症者0の状態
(ただし12月24日他県?からの異動者1名発症あり)
が続いている昨今であるので一先ず安全と確信して
子供宅(熊本市内)で過ごすこととした。

ただ気になる事(水道管破裂)が一つ残っていた。
元旦の朝は、阿蘇氷点下6.5℃の 低温注意予報が出ている・・・
水道の蛇口をひねり(台所の一か所を)垂れ流しをしておいて
極寒の阿蘇谷を離れる。

元旦の朝は、幸さん(娘婿)と「かわらけ」の拝受と初詣を恒例としているが
今年は幸さん一人で参拝 (私は「オミクロン株」を心配して)

正月は4日まで熊本滞在となるが、好天気日を狙って
3日に天草「次郎丸岳・太郎丸岳」にファミリ-登山を計画。
元旦の計として、
体調も良いので令和4年は低山を主に山行
回数(昨年は15回)を更に重ねたいと思う。

(2022.1.10 加筆)

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謹賀新年 2021年

2021年01月02日 15時53分38秒 | 日記

ここ数年は娘の住むマンション(熊本市内)で年越しするのが
恒例となっていたが
コロナ禍の昨今(熊本県・直近最多一日の感染者数12/25日68人)
を思うと、今回は断念
幸さん(娘婿)との初登りも計画(天草・三角岳)していたのであるが・・・

暮れの30日、つきたて餅を(娘に送るため)農家に取りに往くが、
道すがら生憎と凄い風
とボタン雪が車の窓に吹雪化した。
週間予報では年末年始は大雪との報であったので
その覚悟はしていたが
阿蘇地方は事無く予報からハズレ、
大晦日の朝には僅かな積雪も程なく溶けた。

元旦には、白銀の「庭の情景」を期待していたのであるが
新雪を見ることもなく、
女房と二人だけのつつましい元旦を過ごした。(苦笑)

さてさて、次の山はどこにしょうか・・・。

 お正月の縁起木

(2021.1.4日 加筆)

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謹賀新年 2020年

2020年01月04日 23時00分01秒 | 日記

 

熊本城「かわらけ」の拝受と初詣  

令和2年1月1日(水)  快晴 

今年も子供のマンションで年越しをすることとなった。

大晦日の午後に阿蘇を離れたが、
元旦の朝は氷点下5.9℃の 低温注意予報が出ていたので出掛けに
水道の蛇口をひねり(台所の一か所を)垂れ流しをしておいて出発した。
冬の阿蘇谷は寒い、寒い・・・(苦笑)

元旦の朝は、幸さん(娘婿)と
「かわらけ」の拝受と初詣を恒例としている・・・
「かわらけ」配布数は2020個との事、新元号「令和」に代わったためか
今年は例年になく参列者が多く、二の丸から配布場所の西大手門まで
長い行列が続き、待ち時間を費やし、予定していた本妙寺参拝を取りやめ
護国神社一社のみの初詣となった。

【熊本城天守閣】
後方に見える山は、「金峰山」で別名「一の岳」と称する。
盟主・金峰山の外輪山となる「二の岳」・「三の岳」を
今年の初登りとして明日目指す。

 

 

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どんどや 1月14日(月)

2019年01月14日 23時12分02秒 | 日記

「どんどや」 に参加して

平成31年1月14日(月) 快晴

 「阿蘇地区のどんどやは鬼火焚きともいわれ、竹の弾ける音で邪気を払い、
その火に当たれば1年の無病息災を叶えることができると言われています。」
    ( 「阿蘇ペディア」より転載)

 

前日までは、どんより曇った天気であったが今朝は全面に霜が降り、
冬晴れの穏やかな陽ざしでドンドヤを迎えた。

 地区の人々がオ-プンで参加する「どんど焼き」は、区長さんが呼びかける
ただ一つの年間行事である。(地区が主催する住民交流の催しは他に何も無い・・・笑)
例年参加するように心がけているが、
ここ2年間は体調不良(筋肉痛)で顔を出していなかった。
*(参考) 阿蘇に引っ越しして初めて参加したドンドヤ2007(平成19)
集う面々もだいぶん様変わりし、来るべき人(知り合い)の何人かの顔も見えない・・・。

初対面のオジサン(私と同じ年代かも?) いわく
「私の子供の頃は、竹伐りもみんな自分たちでやつていた・・」
まさしく私の子供の頃と同じで、
ドンドヤの主役は小学生(6年生がリーダで)が果たしていた(櫓つくりは父兄が応援)
古里(南関町)を思う「子供心の原風景」に
「13日のモグラ打ち ♪ 14日はどんどや ♪ 」と唄い、
隣邦組の庭先をわんぱく仲間達と一緒に廻った事や
どんど焼きの残り火にあたり、青竹に挟んだ焼き餅を食べながら、
大人たちの四方山話を聞いたりして薄暗くなるまで遊んだ風景が鮮明に思い出される。

 分区どんどや会場進行役の「谷やん」は相変わらす元気で
熊日緑のリボン賞(「一の宮町大注連縄伝承会」)を受けたので
今日の新聞を見て下さい」と私に語りかける・・・。

 どんどやの櫓が燃え崩れた後にも追加の竹
(竹林の持ち主が焼却処分のため自ら運び込んだものらしい)
の投げ込み共同作業が続く・・。
私も20回位運んで投げ入れたが、
私し以上に大量に運ばれている釣井さん
(根子岳・釣井尾根の命名に由縁のある人)、
お歳を尋ねると82歳とのこと、私より七つも上なのに力強い動きに感服、
10月27日に根子岳に登ったと話され
「今年の紅葉は美しかったが、さすがに疲れた・・・」と話された。
私も25日に根子岳東峰に登っていたので大戸尾根の中腹で
「ツルウメモドキ」の大木を発見し、
興奮を覚えたことなど等々の山談義をしながらの作業であつた。

 どんどやの「かっぽ酒」酒好きな私にとっては 最高の趣向なり・・・
「青竹のさかずき」は持ち帰り、
今夜の晩酌で「獺祭三割九分」を呑もう・・・・(苦笑)

 [遊水地公園で行うどんどや]
分区(一区・二区・三区の合同)の年中行事で、自宅から歩いて5分弱の場所で行われる、

 [火入れから10分後]
青空に燃え上がるどんど焼き・・・
四方に囲まれた外輪山の中に一本の煙が高く延び上がる・・・
その景観は雄大で素晴らしい。

 [残り火の火護りをする「分区」の消防団(班)]
背後の山は阿蘇七鼻の一つ卯が鼻

(2019.1.26 追記)

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平成31年 謹賀新年

2019年01月04日 12時45分36秒 | 日記

 

*(参照資料として)→ 過去に私が参加した「阿蘇神社おんだ祭り」

 

初詣と「かわらけ」の拝受  
平成31年1月1日(火)  曇り 

寒い阿蘇谷から離れ、暖かい部屋の子供のマンションで正月を過ごす。
迎春の事始めは娘婿と熊本城二の丸で「かわらけ」を拝受し、
加藤神社への初詣が恒例となっている。 

 [拝受した「かわらけ」を添えて、加藤神社鳥居横から宇土櫓を仰ぐ ]

 [宇土櫓をバツクに記念撮影]

 

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