「どんどや」 に参加して
平成31年1月14日(月) 快晴
「阿蘇地区のどんどやは鬼火焚きともいわれ、竹の弾ける音で邪気を払い、
その火に当たれば1年の無病息災を叶えることができると言われています。」
( 「阿蘇ペディア」より転載)
前日までは、どんより曇った天気であったが今朝は全面に霜が降り、
冬晴れの穏やかな陽ざしでドンドヤを迎えた。
地区の人々がオ-プンで参加する「どんど焼き」は、区長さんが呼びかける
ただ一つの年間行事である。(地区が主催する住民交流の催しは他に何も無い・・・笑)
例年参加するように心がけているが、
ここ2年間は体調不良(筋肉痛)で顔を出していなかった。
*(参考) 阿蘇に引っ越しして初めて参加したドンドヤ2007年(平成19)
集う面々もだいぶん様変わりし、来るべき人(知り合い)の何人かの顔も見えない・・・。
初対面のオジサン(私と同じ年代かも?) いわく
「私の子供の頃は、竹伐りもみんな自分たちでやつていた・・」
まさしく私の子供の頃と同じで、
ドンドヤの主役は小学生(6年生がリーダで)が果たしていた(櫓つくりは父兄が応援)
古里(南関町)を思う「子供心の原風景」に
「13日のモグラ打ち ♪ 14日はどんどや ♪ 」と唄い、
隣邦組の庭先をわんぱく仲間達と一緒に廻った事や
どんど焼きの残り火にあたり、青竹に挟んだ焼き餅を食べながら、
大人たちの四方山話を聞いたりして薄暗くなるまで遊んだ風景が鮮明に思い出される。
分区どんどや会場進行役の「谷やん」は相変わらす元気で
「熊日緑のリボン賞(「一の宮町大注連縄伝承会」)を受けたので
今日の新聞を見て下さい」と私に語りかける・・・。
どんどやの櫓が燃え崩れた後にも追加の竹
(竹林の持ち主が焼却処分のため自ら運び込んだものらしい)
の投げ込み共同作業が続く・・。
私も20回位運んで投げ入れたが、
私し以上に大量に運ばれている釣井さん
(根子岳・釣井尾根の命名に由縁のある人)、
お歳を尋ねると82歳とのこと、私より七つも上なのに力強い動きに感服、
10月27日に根子岳に登ったと話され
「今年の紅葉は美しかったが、さすがに疲れた・・・」と話された。
私も25日に根子岳東峰に登っていたので大戸尾根の中腹で
「ツルウメモドキ」の大木を発見し、
興奮を覚えたことなど等々の山談義をしながらの作業であつた。
どんどやの「かっぽ酒」酒好きな私にとっては 最高の趣向なり・・・
「青竹のさかずき」は持ち帰り、
今夜の晩酌で「獺祭三割九分」を呑もう・・・・(苦笑)
↑ [遊水地公園で行うどんどや]
分区(一区・二区・三区の合同)の年中行事で、自宅から歩いて5分弱の場所で行われる、
↑ [火入れから10分後]
青空に燃え上がるどんど焼き・・・
四方に囲まれた外輪山の中に一本の煙が高く延び上がる・・・
その景観は雄大で素晴らしい。
↑ [残り火の火護りをする「分区」の消防団(班)]
背後の山は阿蘇七鼻の一つ卯が鼻
(2019.1.26 追記)