小川さんは高校卒業後、何度も弟子入りを断れながらも21歳で法隆寺の宮大工棟梁だった西岡常一氏に入門することができました。
「法隆寺の鬼」と呼ばれた西岡常一棟梁の最後の愛弟子となりました。
なぜ小川さんは宮大工になったのか?
高校の修学旅行で行った法隆寺に感動し、宮大工を志しましたが…。
西岡さんに弟子入りを懇願するも「18歳では遅すぎる…」
あっさり断られたそうです。
それでもあきらめきれず、鑿や鉋を使えるようになりたくて仏壇屋や神社などで修業を積みました。
その間、西岡棟梁に手紙を書き続け…、そのたびに棟梁から丁寧な返事をいただいたそうです。
「つまらない仕事の積み重ねの後にこそ、自分自身の心の通う作が生まれます」
「単なる形だけにとらわれた作品は本当のものではありません」
3年後、西岡棟梁が法輪寺三重塔再建することで弟子入りをはたします。
やっと弟子入りすることができましたが…。
棟梁から道具の使い方すら教えてもらえませんでした。
一度だけ、向こうが透けて見えるほど薄い鉋くずを渡され、それを壁に貼り同じような鉋くずがでるまで刃を研ぎ、削り続けました。
「教わったものは自分のものじゃないからな。教えるのは親切のように見えるだろう。でも結局、身につかないんだ」
小川さんは「大工の仕事というのは言葉で教えることができない。技術は体の記憶だから…」
と言います。
技も感覚も考え方も本人の体が身につけるものなのです。
全般的に「仕事」とは教えることができないように私は思います…。
自分で考え、行動するしかありません。
小川三夫著「棟梁」の本の中に角田市にある長泉寺が最後の作品と知り、平成26年3月に見学させていただきました。
1ミリでも自分の「仕事」「想い」が小川さんに近づければ…。
そう思って仕事をしています。
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