すし職人の徒然日記

今日の出来事。趣味など旅行記

明日香村の案山子ロード訪ねて

2014-09-16 17:48:39 | 日記
  
 秋晴れの天気に恵まれた奈良県明日香村にある案山子のアートを、観に行って来ました。今日は、平日で見物客は、少なく、ゆっくりと案山子のアートを、カメラに収める事が出来ました。色んな案山子があり、作者が案山子に対する意気込みを強く感じました。案山子アートは、毎年地元の方々が、村おこしの為に、開催されています。今回、私は、初めて観に、行って来ましたが、楽しく、一日を、過ごす事が、できました。彼岸花も、いろんな色をした彼岸花を、観ることが出きました。
一度行く価値あり!



      明日香村の案山子ロード訪ねて
    

河内国上之太子磯長山叡福寺と西方院

2014-09-02 17:55:46 | 日記
南河内郡太子町を訪ねて
叡福寺

この磯長山 叡福寺は、聖徳太子と、その二ヶ月前になくなられた太子の生母穴穂部間人(あなほべはしひと)皇后と、一日前(一説には同日)に亡くなられた太子夫人膳部大郎女とを葬ってある。いわゆる三骨一廟である。

叡福寺 / 太子は二十七歳の時、この叡福寺の地を御廟の候補地とし、周囲を寺院地とされ、四十七歳の時、廟をお造りになられた。太子没後、聖武天皇の勅願により太子のお墓をお守りご追福を祈るため、神亀元年(724年)七堂伽藍が完成した。このゆえに叡福寺は、太子寺、御廟寺、聖霊院などと呼ばれる。

石段を上り、南大門を入ると左手に宝塔、金堂、聖霊殿があり、中央奥の石段をさらに上ると、松や常磐木に囲まれた太子廟がある。また、境内には浄土堂、上の御堂、念仏堂など多くの建造物があるが、何といっても、聖霊殿に心がひきつけられる。聖霊殿は、慶長八年(1603年)、後陽成天皇の勅願により、豊臣秀頼が再建したもので、御本尊は聖徳太子十六歳のときの御尊像である。


西方院

聖徳太子御侍女三尼公御廟所西方院は、常行念仏最古の道場でお念仏の根源の地であります。
即ち、推古天皇の30年(西暦622年)に聖徳太子御薨去のあと、
月益(蘇我馬子の娘)・日益(小野妹子の娘)・玉照(物部守屋の娘)三姫は剃髪され、
その名も善信・禅蔵・恵善と称されて、太子御廟の前に一宇を建立して、
太子の御遺髪を納め、太子御作の阿弥陀如来尊像を安置して、ひたすら弥陀の西方浄土を
欣求されたとつたえられております。
その御遺徳をしのび、ご縁を結ぶためにお念仏の同行は、宗派を問わず各地から、
お遺髪(毛骨)やお遺骨を当山の納骨堂に納められ、また追善供養として
永代祠堂を納められ、お位牌をおまつりして春秋のお彼岸、太子お会式、お盆、
ご命日に参詣されます。
なお、当山では納骨・永代祠堂(永代供養)の各霊位の日牌・月牌を、
朝夕の勤行において御回向致しております。



 河内国上之太子磯長山叡福寺と西方院