枕崎「すし匠五条」女将の日記

私の想い^^

五条の休み明けの朝、
おはようございますcloud

昨日もrainよく降りました
早く、梅雨明けして欲しいですねgood

枕崎出身の『森 一浩』さんから
個展の案内の葉書が届きましたdown


ご本人も 7月1.2.3日 在廊のこと
よかったら、行かれて下さいねcar

昨日は、気分転換にいそしんだ私
また今日から、お仕事に専念^^

皆様のご来店お待ちしていますfishpar

昨夜は、都会にいる次男と電話で話をしました。

考えてみると、もう7年近く帰ってきていないので
会っていません。

結構、長い時間話をしました。

我が子と言えども、

離れて暮らしている月日の方が長いので
今、次男がどんな風に生きているのか?

よくわかっていない私です。

結局のところ、
「もう、そろそろ田舎に帰ってくれば」の私の想い
「まだ、もう少し、ここで頑張りたい」の次男

と平行線で終わったみたいでしたがeq

都会には都会の良さがあるのでしょうが、
田舎ならではの良さ、次男に伝わればいいなぁ?とねpeace

ふと、8年前に綴ったブログ
読み返してみたdown

   「20年前、元気な声でいつも泣いている
    とても手の掛かる赤ちゃんがいた。
    
    大きな木にいつも登ってみんなを見下ろす
    お友達の中でお山の大将のような保育園児がいた。

    冬の寒い時期でも半袖で
    運動場を笑顔で走り回る小学生がいた。

    剣道の試合で銀賞だったのに
    金賞が欲しいと悔し涙を流す小学4年生がいた。

    野球に変わり
    汗と泥にまみれていて5年生6年生を
    過ごした小学生がいた。

    遊泳禁止の海に 出かけていったと
    嬉しそうに楽しそうに話す少年がいた。

    野球を頑張りながらも 先輩や先生と
    いつもぶつかる中学生がいた。

    そして、
    自らの選択で親元を離れていった
    中学2年生がいた。

    遠く離れたところで野球を頑張っていたけど
    腰を痛めて 挫折の道を歩みだした中学生がいた。

    自分を鍛えるためにと宗教高校に
    進んだけれど、

    厳しさに耐えられず中退してしまった
    16歳の少年がいた。

    仕事をしたり、しなかったり、
    都会の町で、何となく過ごす少年がいた。

    この少年のことで 離れたところで
    いつもいつも心を悩ます両親がいた。

    両親はいつも「帰っておいで」と
    声を掛け続けたが、

    そんな両親の心配はよそに
    自由気ままにし続ける少年がいた。

    両親はこんな子供にさせたのは
    全ては自分達のせいだと自らを責め続けた。
    今もなお責め続けている。

    そんな少年が今日二十歳を迎えた。

    「お誕生日、おめでとう・・・・!」
    
    そして、この日に
    長々と電話で語り合っていた。

    話す言葉は以前と違い穏やかになっている。
    ボチボチだが、真面目に仕事はしているようだ。

    二十歳になって、大人になって
    少しは自覚がでてきたのだろうか?

    都会の生活がどんなに魅力があるのかは
    しれないけど、

    自然に囲まれた田舎の生活の素晴らしさを
    思い出して欲しいと思っている両親がいる。

    この両親がいつもいつも
    心の中で思い続けていることは?

    『信じること、信じ続けること』

    このことなのかも知れない。

    さて、この先の人生は
    どうなって行くのだろうか?
                2008.5.9」

あまり変わってないような
でも やっぱりこれしかないですねgood

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