枕崎「すし匠五条」女将の日記

ちょっと肩の荷降ろさせて貰いますね^^

   おはようございます。

   昨日は「風」の人文字の嬉しかった
   余韻を残しながら

   午前中は、後始末にあちこち
   回らせて貰っていました。

   でき上がった「風」の写真を見て
   参加してくれていた人も

   喜んで貰っているみたいで
   本当に良かったと思えます。


    風の設計、誘導などしてくれたひがちゃん
  

   ひがちゃんの片腕となってくれたベル工房の池上さん
  

   準備を手伝って スタッフになってくれたみなさん
     

  ずっと私を支えてくれた下竹自動車の下竹さんと七夕旗
  

      観光協会の方のお写真お借りしました^^
  

    このほかにも見えないところで
    多くの方にお手伝い頂きました。

    ありがとうございました。

    ご紹介したいのですが、
    写真撮ってなくて、本当にごめんなさい。


  そして、昨日の夜、私はある方々の会合に
    ゲストとして卓話を依頼されていた日でした。

    前日までは人文字のことでいっぱいいっぱいで
    昨日の午後に 原稿を考えました。

    今の私の想いが参加されてるみなさんに
    少しでもお届けできたらと思いながら
    綴らせて貰いました。

    私、人前で話すのが苦手なので
    その原稿、読ませて貰いました。

    ここに綴らせて貰ったことは、
    七夕への想いも含めて

    
    なぜ、私が今の私なのか?   
    そう言うことにもなるので、

    お時間ある方、お読みください^^ 



 只今ご紹介に預かりました板敷浩実です。

ここにお集まりの皆さんには、常日頃、五条も御贔屓にして頂き、また色々な形で繋がらせて頂き大変嬉しく思っています。どうもありがとうございます。
こうして、みなさんの前でお話させて頂けるなんて言葉に困るほど光栄に思います。とは言うものの 地位も名誉も知識も教養も備えてない私が皆様に何をお届けできるのか?全く自信のない私ですが、私の思う精一杯の気持ちでお話させて貰います。
先月号の広報誌にも綴らせて貰いましたが、私は奈良県出身で、中学生まで奈良県五條市で過ごしました。今は合併で大きくなっていますが、当時の五條市は枕崎と同じぐらいの人口の町でした。
商売人の子として生まれ、小学1年生の頃には店に出て「いらっしゃいませ、まいどおおきに」と手伝うのが当たり前だった記憶があります。店の内情も「手形がおちないのなんのと」子供心に商売の大変さを実感していた気がします。
父はサラリーマンで単身赴任、たまに帰ってくるのですが、今思えば、考え方の違う両親の仲はあまり良くなかったです。そんな環境の中、中学生の頃の私は、荒れに荒れて、祖母や母に手を挙げるほど親不孝者でした。
「お金持ちはいいなぁ?」「普通の幸せな家庭が羨ましいなぁ?」と心の中は卑屈者だった気がします。
「私なんか?死んでしまえばいい。」と思ったこともありました。その時、「死ぬ気になれば何だってできる?」と考えたことも覚えています。
そんな自分から逃げ出すために私は寮のある天理高校へ進学しました。その高校時代の恩師や多くの友達から、人として何が大事なのか?教えて貰った気がします。
簡単に言うと「人に喜んで貰えることが自分の幸せに繋がる」と思うようになっていったと言うことです。
周りの友達は何かにつけて凄い人賢い人がいっぱいで、私なりに努力もしたつもりですが、いつも、何をしても負け犬状態でした。
希望の大学進学も失敗し、その頃父も病に倒れたため、私は進学を諦め大阪で就職しました。営業の仕事でした。
何の取り柄もない私、いつも負け犬の私が、周りの人においてかれないようにするには、人の何倍も仕事の量をこなさなければなりませんでした。
生活もできませんでした。
人が青春時代を楽しく送っている年齢に私は がむしゃらに働いてました。高校の恩師が、おまえは苦労する人生で終わるかも知れないけど、その道のりがお前だから、一生頑張り続けろ!と言われていました。でも、残酷なその時のその言葉が、ずっと私を支えてきています。
その苦労の連続の中には、時には嬉しかったり楽しかったりする時がありました。日ごろ頑張ることが多ければ多いほど比例して、その瞬間の喜びは大きいと実感してきました。
<中略>
そう言う縁あって主人の故郷枕崎に23年前移住してきました。波乱万丈生きてきた私にとって 枕崎と言うところは 余りにも平和と言うか?
物足りないと思うと同時に、のんびりとした素晴らしい海山風の風景に 心癒されていきました。
都会にいた私にとっては何もかもが素敵に見えてきました。人々もそうでした。繋がることの喜びを感じました。
そんな私は、今「結の会」「商工会議所女性会」「枕崎の食を考える会」「南薩共生協働振興協議会」など力不足ながらできる範囲で活動させて頂いています。いろいろな人と関われるのが、嬉しいんです。その繋がりは私にとって宝物だと思えます。そして、「枕崎七夕の会」では、代表をさせて頂いています。
さて、かなり前置きが長くなりましたが、ここからが七夕の話ですが、5年前、友達との飲み会で、枕崎を盛り上げるために何かしようと話していると、ある人が、「昔は七夕飾りで町が賑やかで盛り上がっていたによ。」と言われました。周りの人に聞いても「楽しかったよ。」と満面の笑みを浮かべて話してくれました。「じゃぁ、復活させようよ。」と私が言いだしたんです。
私は、考えました。七夕飾りを復活させるという中には、家族で昔話をしながら飾りを作る時間は、色々な伝承に繋がるだろうと、
職場で楽しみながら作れば、人と人のコミュニケーションが図れるだろうと、地域で取り組めば、地域の活性化に繋がるだろうと、
いいことづくめのように思えてなりませんでした。
なかなかそう上手くはいかないものの七夕飾りの復活の根本的な理由としては、やはり「繋ぐ」と言うこといきつきます。
数人の仲間からで活動を始めましたが、実際のところ、人はなかなか動いてはくれませんでした。でも愚痴にしてしまえば盛り上げるどころか?逆効果だと悟り、私は動きました。
1年目はチラシを持って300件ほど回りました。その中の半数近くの人が賛同して下さり、1年目の美しい七夕飾りを見ることができました。嬉しかったです。
それから5年めが今年でした。この5年間の間には、七夕ライブなども開催したり、それなりに盛り上がりもありましたが、
目的である市民一丸となってには まだまだ程遠いものがあります。
七夕に対する想いは人それぞれで、私と同じように思って貰うと言うことは難しいです。
でも美しく飾られた七夕をみて喜んでくれている人々がいると言うことは、私の心髄である「人が喜んでくれることは自分の幸せに通じる」そう実感できています。
みなさんが「浩実さん凄いね!」って言って下さいますが、実際には自己満足のためなんです。
その自己満足のために、たくさんの方々が竹を切りだしてくれたり、配布してくれたり、飾りつけしてくれたり、かたずけてくれたりと この暑い夏の最中に無償の汗をいっぱい流してくれています。
温かい人がたくさんいて私の想いの実現を一緒になって手伝ってくれています。このことを考えると胸が熱くなり涙も込み上げてきます。
今年は七夕旗の協賛も募りました。約130件250本のご協力を頂き、その旗が、七夕月間と定めた7月7日から、8月7日までを盛り上げてくれました。
七夕旗に描かれた会社名や団体名が 多くの皆さんの目に触れると言うことが、みんな一緒になって盛り上げているんだと思って貰えたら嬉しいんです。
そして、昨日この皆さん協賛の七夕旗を記念に残すためと、風の芸術展へのエールを送る意味も兼ねて片平山公園で人文字を作りました。
この中にもご参加して下さった方もいます。ありがとうございました。
今日この場で「大成功でした」とご報告できてよかったのですが、
実は最後の最後まで どれだけの人が来て下さるか?
まともに「風」と言う文字のになるのか?全くのところ分かりませんでした。でも ふたを開ければ、250人を超える皆さんがぞくぞくとあつまってくれました。
その来て下さった皆々様や この計画を立て、準備し、事をスムーズに進めて下さった皆さんには、本当に感謝しきれない思いでいっぱいいっぱいです。
私が、いちばん気になったのは、来て下さった皆さんが、楽しんでくれたかどうか?と言うことでした。「楽しかった」って言って貰えて本当に本当に嬉しかったです。
多くの皆さんと一丸になって 想いを一つにして大きな「風」作ることができて 皆さんと万歳三唱できたことが 何よりでした。
私一人が、頑張るのは簡単なことです。でもそれは一人分の喜びです。
私は市民ぐるみで頑張りたいといつも思ってしまいます。その数だけ大きい喜びを共に分かち合えて喜べるからです。みんな一緒がいいって思うのは、もしかしたら、私って淋しがり屋なのかも知れないと思うところです。

最後になりますが、正直、身体に鞭打ちながらの日々でした。なぜ、みなさん一緒になって取り組んでくれないんだろうと 愚痴りたくなる時もありました。来年は同じことができないかも知れないと 体力的な限界も感じます。
でも、何事も継続が力なりですから、やめるわけにはいかないとは思っています。
枕崎を盛り上げるということ、楽しんで取り組めるようにもっと工夫して「枕崎七夕の会」を継続していきたいと思います。
今日、ここにお呼び頂いたのも何かの縁、来年はRクラブの皆さんにも ご協力をお願いできればと思うところです。どうぞ、よろしくお願いします。
では、最後になりましたが、皆々様のご健康とご活躍をお祈りさせて貰いながら、私のつたない話を終わらせて貰います。
どうもありがとうございました。



    とてもとても緊張しました。
    足は、ガクガク震えてました。

    熱くなって、涙も込み上げながらでした。

    聴いて頂いたみなさんにどう伝わったか?は
    分かりませんが、

    昨夜の役目を終えて
    私の中ではひと段落させて貰いました。


    まだ、七夕旗をお届けしたり
    細かなことはありますが、

    ちょっと肩の荷降ろさせて貰いますね^^
    では、今日も暑そうですね。

    お身体気をつけて下さい。
    ありがとうございました。-hiromi-

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コメント一覧

hiromi
テレ甘くんおはようございます。この風の中に「歌になった柴垣天然岩ガキ」の旗も一緒にたなびいてくれました。柴垣の皆々様にもテレ甘くんから、よろしくお伝え下さい。改めて連絡はさせて貰いますね。テレ甘くんにも遠くから応援して貰えて本当に力になりました。この風、金沢にも届いたかなぁ?では、帰省される日楽しみにしていますね^^
テレ屋の甘えん坊
風が出来上がるまでのきみたん撮影の動画を見ました
掛け声に合わせてジャンプして写真を撮る時には、思わず僕までジャンプでした(笑)
七夕旗を持って皆で力を合わせて作った人文字『風』からの伝言(メッセージ)は本当に最高でした^^

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