歌広場さんのTSUTAYAサイト連載
第4~9回に潤くん満載(*^▽^*)
【連載】ゴールデンボンバー・歌広場淳の“爆ツイ!”ドラマまとめ 松本潤『99.9 II』ー前夜祭ー(第4回)
【連載】ゴールデンボンバー・歌広場淳の“爆ツイ!”ドラマまとめ 女優にはハマらない、絶対。(第5回)
【連載】ゴールデンボンバー・歌広場淳の“爆ツイ!”ドラマまとめ 俺たち「ヤバい力士」と“公式垢”(第6回)
【連載】ゴールデンボンバー・歌広場淳の“爆ツイ!”ドラマまとめ 初心者にもやさしい理想のジャニーズキャスト(第7回)
【連載】ゴールデンボンバー・歌広場淳の“爆ツイ!”ドラマまとめ “花男”道明寺司・回想録「歌広場 道明寺 ブログ」(第8回)
【連載】ゴールデンボンバー・歌広場淳の“爆ツイ!”ドラマまとめ 半分、道明寺。(第9回)
第9回、ハピバDayアップだわ
参考までに
歌広場さんが道明寺、いや松本潤くんにはまった日
http://blog.livedoor.jp/goldenbomber2/archives/50580684.html
ほかにもちょいちょい出てきましたが・・・
最高( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
http://blog.livedoor.jp/goldenbomber2/archives/2008-06-26.html
(*・ω・)(*-ω-)(*・ω・)(*-ω-)ウンウンですよ
いつもいつもありがとうございます
5/12追記
2018年1月クール(1月1日(月)~4月1日(日))での
タイムシフト視聴率上位30番組
総合視聴率(※2)上位30番組
タイムシフト視聴率:「日曜劇場・99.9・刑事専門弁護士・SEASON2」がトップ。
総合視聴率:「ピョンチャンオリンピック(フィギュアスケート男子フリー)」「日曜劇場・99.9・刑事専門弁護士・SEASON2」「ピョンチャンオリンピック・開会式」が30%超えに。
3月29日確定しました。総合も30パーセント越え!おめでとうございます。ヾ(*´∀`*)ノ
@gomakame はマイアカウントです
http://yaplog.jp/yu-gure-marie/archive/1422
そう、さいたまでは、三輪自動車に、
立って登場するんだったよね
青山では、座ってしまった記憶
千穐楽
赤い花びらが戦い、昇華した世界で
バリカンをだきなから
美しい汗で左肩の後ろに1枚張り付いていた新次の姿がいまでも目に浮かびます。
思い出しました
ありがとうございます。
- Yahoo もっとも満足した冬ドラマ
実施期間:2018/3/26(月)〜4/5(木)
https://news.yahoo.co.jp/polls/entertainment/33823/resul
- 【終了】日刊ドラマグランプリ 年間
- ※締切は4月2日正午。
- ※投票は1人1票のみ。不正投票は無効とします。
- ※投票には「ニッカンID」の取得が必要です。
- ※ニッカンIDとは → コチラ
- https://www.nikkansports.com/entertainment/award/ns-dramagp/
- 【終了】第96回ザテレビジョンドラマグランプリ
WEB投票
https://thetv.jp/feature/drama-academy/
※締切は4月3日23:59まで
応募券投票(3/14・21・28号)4倍
※締切は4月3日消印まで
おいおい
◆雑誌◆
6/21 FLIX8月号 ・ナラタージュ撮影現場レポート
7/6(木)ザテレビジョンCOLORS vol.31 LIGHT BLUE ・ぼくらの勇気 未満都市」
7/15(土)TVnavi SMILE vol.25 8月号「ぼくらの勇気 未満都市2017」現場リポート
7/22(土)SODA 9月号 ▽特集松本潤 映画『ナラタージュ』
◆番宣◆
◆前売・グッズ◆
◆試写会・イベント◆
9/17(日)JAL特別試写会 http://www.jal.co.jp/narratage_cmp/index.html
搭乗期間:2017年7月3日(月)~8月6日(日)
応募期間:2017年7月7日(金) 09:30 ~ 8月10日(木) 23:59迄
◆舞台挨拶関連◆
今度は週刊新潮 読んだら、なにこの古いお話?不仲説以前に私が意識しだしたときは雪解けとかもう大ブーム。
過去のエピもたくさんたくさん涙ながらに教えていただきました。
雑誌、特に新潮とか文春とか、何かを標的にしなきゃいけないなら税金無駄使いとか不正してる方で全ページ埋めるぐらいの根性はないのか
そういえば
中央公論社が近くにあって
記憶だけでも小学校低学年から本の虫だったので「わぁ・・雑誌社が近くにある」という感動を覚えておった。
ある日、倒産して、そこは読売系が買い取ったようで、雑誌の世界も厳しいんだなぁと、週2冊は文庫本を購入していたので
とてもさみしい気持ちになったことを思い出した。
大好きな作家に、これも偶然創元社の新しい推理小説の企画のなかで連作化された
北村薫先生の「私と円紫さんシリーズ」(という名前も5巻ぐらいかった後で知った)は空飛ぶ馬から全シリーズ、単行本発売とともに購入したが
そのなかで「私」さんの卒論テーマ芥川龍之介を扱い、無事出版社に就職してからも縁のある作家さんで題材になっているんだが
そこに大事な相手として 菊池寛が登場する。
純文学と対する、大衆文学の雄。演劇界では大変な人物として扱われているが作家としては正直格落ち的なイメージなのかな?
羅生門や藪の中とか、は学校でも試験でも世界の映画でも、だが
真珠夫人なんてテレビの昼メロドラマ枠で人気になっていたのしか(まったく見てないけど)しらないもの。
でも衝撃的だったの、「文藝春秋」を立ち上げた方が 菊池寛、と、その大好きなシリーズの本の中で知ってとっても身近になったぞ
文藝春秋社!だったわけです。
そんな認識ももはや10年以上も前になるのかな?
本好きなので「文春文庫」もわりとよく購入してました。
でもね。
あの有名な女の人の件は、なに古いこと持ち出して、不快だったけどまあまあちょっと嫌な雑誌程度だったのが
今回の件はどこをどうひっくり返してもなんの確定される発言も写真もでてこない。
いきなり街頭インタビューされて、ああいった人気商売の人が回答できる?
卑怯ものは本人の顔も隠す(嘘かまことが知らないが名誉棄損的裁判の告訴されてまけて支払い背負ったひとらしいとか)
あの内容で載せる
おいおい。
自分はほとんど傷ついてないし応援してるけど、人気商売影響でるんだよね。
あと周りがへこんでて、その負のオーラがつらいのとうざいのと、めんどくさいのと、やっぱり本人に向かうから悲しいわけです。
で、
亡き菊池寛先生には申し訳ないとは思いつつ、
むこう最低10年は、文藝春秋社のものとは決別しようと決めました。
買わない、読まない、薦めない(過去のもの)
地味に抗議してみるということですが・・・
本が大好きなのに、残念だけど、ちっとも後悔しない感じです。
あーでも新潮社は難しいな、だって陽だまりとかそうだもんね・・ 週刊新潮の新潮社はしばらく様子見で決めることとした
方向性が違ってるかもしれないが、本好きが決めた、そこが本来なら悲しい決意として、個人の意志としてやってみます
月刊行定勲
FM熊本 ブログ http://blog.fmk.fm/kantoku/
同 ポッドキャスト(といいつつmp3でダウンロード可)
7月8日、富山の撮影準備のホテルからの電話参加の前回(7/14発表前)
part1 http://blog.fmk.fm/blog/audio/yukisada20160708a.mp3
part2 http://blog.fmk.fm/blog/audio/yukisada20160708b.mp3
そして今回ナラタージュのお話しつきはこちら
http://blog.fmk.fm/blog/2016/09/2016826part1.html
なかなか表にはでれない潤くんの名前を(小栗くん、竜也くんは弔辞を読んだので)、いつもの演劇好きの仲間の名前の中で
蜷川さんの前で、呼んでいただきました。
感謝です
http://www.hochi.co.jp/entertainment/20160516-OHT1T50070.html
<弔辞全文>
蜷川さん、おはようございます。松戸でテレビのロケをしていまして、帰り、ちょっと渋滞で3分ほど遅れてしまいました。すいません。
僕がこんなに超売れっ子俳優になったのは、蜷川さんの責任です。責任とって下さい。シンとしたけいこ場は嫌だけど、つまらないジョークには笑わなくていいぞ~って…蜷川さんがそういうお顔をしていましたね。
蜷川さん、そちらに行ってしまわれる前に、『尺には尺を』のけいこ場を訪ねてけいこを見学させて頂き、その後、竜也とおちあってお見舞いに行かせていただきました。その時の蜷川さんの姿を見た竜也の顔が忘れられません。母犬とはぐれて、雨の中で行き場を失った子犬のような顔をしておりました。
耳元でしゃべりかけると、苦しい息の中、何度か手を動かして応えようとして下さいました。テンペストやろうって言ったじゃないですか。プロスペローやらせてくれるって言ったじゃないですかと僕が言うと、少しだけ目を開けようとして下さいました。それは、渾身の力を振り絞るように見えました。蜷川さんはずっとずっと闘い続けてきてまだ、ベッドの上で闘おうとしていらっしゃいました。僕には到底、できないことだと思いました。
ひつぎにお入りになってからの蜷川さんのお顔を僕は見ておりません。ベッドの上で闘う蜷川さんの顔を目に焼き付けておきたいからと思ったからです。でもとても安らかで美しい顔をしておられると聞いております。
きっとそちらに行く前の蜷川さんの目には、平さんや、大竹さんや、りえちゃんや、そんしょうや、勝村や、あべちゃんや、桃李や、小出や、松本潤や、淳平や、新川や、塚本や、二反田がきっとずっとみんなが集まって並んでいて、蜷川さんのキューをワクワクドキドキしながら待っている。蜷川さんはいつものように、少し甲高いよく通る声で、いいか~、いくよ、っていってる姿が風景が、蜷川さんの目に映っていたのではないでしょうか。
もう少ししたら会いに行きます。シェークスピア君も交ぜてやって、一緒に芝居つくりましょう。もう少し待ってて下さい。
編集委員 内田洋一 2016/5/16
多くの演劇人に愛された演出家、蜷川幸雄は意外なことに「理解されない」とうめきつづけた人だった。好意的にみえる劇評にも激しく怒って、周囲を戸惑わせた。自身が思う演劇の世界像はそれだけ侵しがたいものだったからだろう。30年余り前から取材を重ねてきたが、蜷川幸雄の内面はようとして知れなかった。その謎に迫ることで、演劇の闘士80歳の死を悼みたい。
【謎1】なぜアイドルを多用したか?
蜷川幸雄ほどアイドルタレントを重用した演出家はいない。芸術性を損なうと批判する批評家は少なくなかったが、高名になってからも「オレは芸術家じゃない、芸能人だ」とかたくなにその姿勢を貫き通した。
切符が売れる。コンサートで万単位の観客をひきつける華がある。厳しい選抜を勝ち抜いているから身体能力も根性もあり、短期間の稽古で伸びる。そうした興行上の実利はむろんあった。「小難しい芝居と思われると切符が売れないんだ」と役者の話題を前面に出すよう努めてもいた。が、真の理由はほかにあったのではないか。
偏愛したのは、スターの影だった。青春時代のアイドルはアメリカ映画のジェームス・ディーンであり、アンジェイ・ワイダ監督の名画「灰とダイヤモンド」のツィブルスキ。光り輝く寵児(ちょうじ)が転落する。光と影の振幅を極大化させる神秘的な力を演劇に持ちこみ、彫像を刻むように「時代」の像をとらえようとしたかに見えた。
1985年夏、私は蜷川幸雄にエッセーの連載を頼んだ。49歳、革ジャンでハーレーに乗り、稽古場で灰皿を投げまくっていたころだ。打ち合わせで「オレ、スターが好きなんだよ」と明かした蜷川は、ジュリー(沢田研二)について書いてきた。
「おそらく、彼らはほかのどの職業の人たちよりも短期間のうちにスターになり、人々の憧憬の眼差しをあびる。しかし失墜もまた急激にやってくるのだ。一夜にして彼らは売れない歌手になり、ときには侮蔑の対象とすらなる。人々にとって、スターというのはいつでも憧憬と侮蔑の対象なのだ。歌手たちはこの両義性のなかで、やがて世界の構造と人間の構造について知らされてゆくのだ。彼らが優れた表現者にならぬはずはない」(「ジュリー」)
- 藤原竜也が演じた8度目の「ハムレット」=写真 渡部 孝弘
この蜷川的スター主義は一般にいうスター主義とは似て非なるものだった。失墜の予感をはらみ、危うい綱渡りを自覚しているスター。物語をかきまわし、秩序をゆるがすトリックスター。その系譜には小栗旬、松本潤、藤原竜也らがいる。翼を太陽に溶かされ失墜するギリシャ神話のイカロスのようなはかなさ。そこに演劇の本質をみていたのではないか。
蜷川演出は劇の終盤に群衆の歓声、街頭の絶叫をよく響かせた。その中で処断されるスターの孤影。蜷川劇の名場面だ。歌謡曲や激烈な視覚効果の導入もスター同様、大衆の欲望の視線を喚起させるための仕掛けだっただろう。
が、この蜷川的スター主義は劇薬であった。東宝、次いでホリプロと提携して成功した興行モデルをビジネスチャンスと受けとめ、形だけまねる例が相次いだからだ。売れればいいとばかり、ゆるいタレントが大手を振って素人芸をみせる現状がある。美学なき安易な追随は蜷川演出の精神から最も遠いといえるだろう。
【謎2】なぜシェークスピアを日本化したのか?
桜吹雪、仏壇、声明、賽(さい)の河原、佐渡の能舞台……。シェークスピアやギリシャ悲劇に蜷川演出は日本の意匠をもちこんだ。映画界には、私淑していた黒沢明が「マクベス」を戦国時代に移す「蜘蛛巣城(くものすじょう)」というお手本があったが、演劇で試みたのは蜷川からである。
かつて新劇と呼ばれた近代演劇では、西洋人に似せるため鼻や金髪のカツラをつけて演じることが珍しくなかった。それを「恥ずかしい」と受けとめたのが原点。少年時代に親しんだ歌舞伎や人形浄瑠璃の演出を取り入れ、日本人の意識の古層にある記憶と結びつけることでドラマを普遍化しようとしたのである。
たとえば、仏壇を舞台にした「NINAGAWAマクベス」は、こんな偶然から生まれた。打ち合わせのあと埼玉県川口市の実家に寄った蜷川は仏壇にある父親の位牌(いはい)に手を合わせた。「親父、久しぶりに帰ってきたよ」。ろうそくをともし、チーンとならすうちにも考えが激流のように駆けめぐる。ああ、日本人はこうやって先祖としゃべるんだなあ。もし、仏壇の中に物語がそっくり入っていたら。観客は先祖の物語としてシェークスピアを見てくれるのでは……。日比谷の東宝演劇部にとって返し「仏壇、仏壇」とつぶやきながら階段を駆けのぼった。
「NINAGAWAマクベス」(1980年初演)の仏壇を舞台にしたセットの模型を喜ぶ
鋳物の町、川口で生まれ育った蜷川は「バカヤロー」をあいさつ代わりにする汗まみれの労働者を生涯忘れなかった。彼らを寝させてしまう芝居はやらないと誓い「開幕3分間が勝負」とばかり異次元に連れ去る冒頭シーンをつくった。引き落としなどの歌舞伎演出、人形浄瑠璃が重んじる装置の面白さなどを復権させたのは、それが日本人の感性に直結しているから。近代演劇の主流だった新劇は舞台の上部を使いきっていないと批判した蜷川はもともと画家志望だったのに加え、絵を重視する伝統演劇や宝塚に学んだ。結果、そのオリジナリティーは西洋で高く評価された。シェークスピアやギリシャ悲劇が思いもかけぬ手法で舞台化されていることに、西洋の観客は驚いた。
最後の最後までこだわり、もう一回やりたいと考えていた「ハムレット」。最後の演出(最多の8度目)は下町の長屋が舞台になった。夢幻能の様式を取り入れた光と闇の世界だった。車いすに酸素ボンベを積んでの鬼気迫る演出は西洋演劇の日本化という夢の集大成だっただろう。新劇は大衆から遊離し、西洋演劇を日本に根づかせることができなかった。対して蜷川演出はスターの力、演劇における視覚の力を復権させることでそれを成し遂げたといえる。
このとき(2015年1月)の病状はすでに深刻で、残された時間は多くないと本人は覚悟していた。稽古場でふりしぼる怒声を聞いているうち、激しく胸打たれた。世界を変えようともがき、闇の中を進む。ハムレットの苦しみは、政治の季節に変革を志した青年蜷川幸雄の苦しみそのものではなかったか。とりわけ思い入れの深い「ハムレット」で、ことに劇評をやり玉にあげたのも、むべなるかな。上演のたびに「わかってくれない」と闘志の火を燃やしていただろう。
最後の「ハムレット」では「演劇的転向」が告げられた。これまで心理の流れを重んじる新劇的なセリフを嫌い、説明しがたい衝動や叫びを重視してきた。が、今は一周まわって、逆にセリフの内容を確かに響かせる方向を目指したいのだと。かつてならヨシとした絶叫調のセリフであっても、内実をともなわないと感じれば、容赦ないダメを出した。
衝動的なセリフはもともと予定調和的なドラマを揺さぶる手段だった。ところが今や現実の社会生活で言葉が衝動的に発せられる。この傾向を進めれば、社会が思慮を失い、極端にふれる危険があると考えていた。「このごろセリフが気になってしょうがないんだ。今はきちんとセリフの内容を話してほしい」。蜷川演出が最後にたどりついた境地は「ハムレット」のセリフを借りれば「言葉、言葉、言葉」だった。
【謎3】「恥」の意識の源はどこにあったか
蜷川幸雄の軌跡をたどると「恥ずかしい」という意識が隠されていることがわかる。その源は唯一の自伝「演劇の力」(日本経済新聞出版社)の冒頭部に記されている。「ぼくは生まれつき自意識過剰で、ことあるごとに恥ずかしいという気持ちに襲われる」。皆に振り向かれるのがイヤだから、絶対遅刻しない。人に注目されるパーティーも嫌い。芸術祭大賞を受賞したら、自分をひきずりおろすためストリップの演出をした。
- 日劇ミュージックホールでストリップショーを演出する(1981年)
あえて自分を引き裂かれるような危地においこむ。40代から50代にかけての壮年期、わざと徹夜して意識をもうろうとさせ、アイデアがひらめくのを待った。この自己破壊衝動は通常の仕事についた場合、手ひどい失敗を招くものかもしれない。が、役者やスタッフの闘争心に火をつける演出という天職がこの衝動によって花開いた。怒りを創造のバネとした。
酒は飲まず、群れるのがイヤ。稽古が終わると家に飛んで帰る。木立に包まれた清雅な仕事部屋でお気に入りのオブジェやフィギュアに囲まれ、本を読んだりビデオを見たり。少年時代から引きこもる傾向があったというが、コミュニケーションの不得手な気むずかしい青年は演劇という場所があったからこそ生きられた。言葉を開く演劇の力を知っていたからこそ、高齢者劇団(ゴールド・シアター)や若手劇団(ネクスト・シアターなど)を輝かせることができたのだろう。
ゴールド・シアターのオーディションをぶらりと見に行ったことがある。うまくもない素人役者の寸劇にひっそりと、しかも延々つきあう蜷川幸雄がいた。あいさつすると「来たんだ」と不機嫌そうに、でもまんざらでもなさそうに言葉を返してきた。今はただ、その孤影を惜しむ。=敬称略