修学旅行を見送る私に「ごめんな」とうつむいた母さん、あの時、僕平気だったんだよ。 修学旅行どころか、学校と名の付くものには小学校の三年半しか通えなかった人もいる。歌謡界の長老、「バタヤン」こと田端義夫さんは三歳で父を亡くし、人形作りの内職をしていた母は10人の子供をかかえて苦労した。一家で何度も夜逃げをしたという。鉛筆も消しゴムも買えない。仕方ないので、ひと目を盗んで小学校のゴミ捨て場に行き、まだ使えそうなちびた鉛筆や消しゴムを拾って使った。子供たちが楽しみにしている運動会。運動着の無い私は、学校を休んで出ないことにしていた。遠足には一度も行っていない。・この頃、紅ショウガの「ごちそう」をよく食べた。白米を食べる余裕は全くなく、主食はいつもオカラ。オカラは当時2銭です。おかずは紅ショウガ。そんな紅ショウガさえ口に入らないほど困窮した。・・田端義夫「バタヤンの人生行路」・・・続きは次回だ。
畑の風景
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