その母さんが亡くなったのは1955年(昭和30年)である。田端さんは押しも押されない人気歌手になっていた。 葬式の日、わたしは紅ショウガをいっぱい買ってきた。おっ母さんと貧乏をして、夜逃げばかりしていた大阪時代、毎日毎日の食卓を飾った紅ショウガだ。その紅ショウガを一個一個花弁のように丁寧に薄く切りそろえた。何枚も何枚も、紅ショウガの花弁を作っては、おっ母さんの棺にまいた。 どんなに綺麗な花よりも、どんなに高価な花よりも、一枚一枚きり刻んだ紅ショウガの花こそが、何ごとにも代え難い、わたしのしてあげられる最後の親孝行でした。「バタヤンの人生行路」より。 庭に咲く花