初めて地方勤務を命じられたのが仁和3年(886)2月讃岐の国司としてやって来ました。この時の心境を漢詩で書き残しています。・・私はこれから南海(四国讃岐)の風煙を嫌と言う程味わされることになるだろう・・加えて忌々しいのは他人がこれを左遷と呼ぶことだ・・じっくり考えると吾が菅家の家業は地方官ではない!・・。でも4年の任期を終え都に帰り、どんどん昇格して右大臣まで出世しました。さて今日は又よき日でありました。 庭に咲く花