日清戦争が終ったばかりの明治29年8月に、仲多度郡南村(現在丸亀市)で、犯罪史上例をみない残酷事件が起こった。明治元年いらい県下最大の区悪事件である。しかも豪農の美人の後家と財産をめぐるお家騒動だけに「新派大悲劇福崎騒動」と銘打って、芝居に仕組まれ、祭礼の「ノゾキからくり」にも登場した。まさに劇的事件であった。しかも被害者・加害者合わせて13人がことごとく死んだ。福崎本家はと得米3百石、近郷に聞こえた豪農であった。処が家付き娘のウメは、十郷村(現在仲南町)から養子宗十郎を迎え、仲良く暮らしていたが、子が無かった。未だ幕末のことである。ところがある日、長屋門の外に捨て子があった。ウメ夫婦は「これは神仏から授かりものに相違ない」と感激した。女の子であるが、なんとも可愛らしい。この子は添えてあった臍の緒書きによりタケと呼ばれた。筆者(十河信善)は母方の祖母から、この事件の話を聞いた。祖母の生家は福崎家の遠縁に当たり、裏話もよく知っていた。・・続きは又ね・・・

今日の一枚