1136年、鳥羽上皇の離宮の案楽寿院が完成し多度荘は藤原家より案楽寿院に寄贈された、と同時に頼政(32歳)は鳥羽上皇や美福門院の誘いで都に帰り蔵人の役に任じられる。蔵人とは天皇の秘書役である。37歳に娘が誕生し名前を若き日の思い出の地である「讃岐」と命名。1158年、讃岐は二条天皇の内裏女房に任じられ二条院讃岐と呼ばれる。父譲りの和歌に秀で古今和歌集、百人一首、勅撰和歌集等に多くの和歌を残している。 庭の秋