多くのテレビ・ドラマのストーリー又はテーマに「嫉妬(しっと)」があって、
離婚などいろいろな争いが演じられるが、
私たちの日常生活や職場の人間関係でも少なくない、
人間の好ましからざる性向。
<iframe width="480" height="270" src="https://www.youtube.com/embed/UZHhuuDE64c" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>#7(R) 罪とはなんですか?【3分でわかる聖書】
サタンの声(残念だが霊的実在)
「僕が選ばれるべきだったのに」
「夫は私より、親戚や趣味に心がいっぱいのようだわ」
「あの人、今日は仕事で遅くなるなんて言ってたけど、
秘書の女性と遊んでいるんじゃないかしら」
神の言葉(聖書のことば)
「ねたみや敵灯心のあるところには、秩序の乱れや、あらゆる邪悪な行ないがあるからです」
(ヤコブの手紙3章16節)
☆嫉妬とは、だれかが自分にないものを持っているとき、そこに起こる敵意にも似た感情
のことです、嫉妬という感情はまるでガン細胞のように、入を食い尽くしていきます。
また実祭に私たちの肉体にも影響を及ばし、有害な化学物質を作り出し、
頭痛や神経衰弱の原囚となります。嫉妬は愛とは全く反対の感情です。
「愛は人をねたみません」 (コリント人への手紙第Ⅱ13章4節)
★「嫉妬(しっと)」
・「ねたみや---。」 私は主が自分に与えてくださったもので満足すべきであり、
他の人のものに目を向けるべきではありません。
嫉妬はサタンにつけいるすきを与えてしまうのです。
サタンにやられて病気になったりはしたくありません。
それにこの私は、そして私の持っているものは、すべて神が与えてくたさったものです。
主は私がどのような地位にあるかを決定する権利をお持ちです。
能力にせよ、美しさにせよ、お金にせよ、主が他の人に与えてくたさったものを妬むなら、
それは主にたてつくことになります。
他の人に与えられたものを妬んで「私がそれを持つべきなのに」と嫉妬を燃やすのではなく、
私はすべての人に最善のものを与えられる圭のすばらしさを讃美することにします。
・「敵対心のあるところには---。」 もし私が、誰かに嫉妬するなら、それは、
自分より優れた部分を持つその人のゆえに私が憤りを抱いていることを意味します。
それはよくない考え方です。なぜなら、そういう人が失敗したり
うまくいかなかったりするとき、私は意地の悪い満足感を持ってきたからです。
私はできることならあの人を引きずり下ろしたいと考-えたことさえありました。
ですから、他の人が、地位において、権力において、人気において、所有物において、
業績において自分より優っているとき、その人に敵対心を抱くのです。
・「秩序の乱れや、あらゆる邪悪な行ないかあるからです---。」
嫉妬は私の内に憤りの思いを作り出しました。ですから私はその思いをサタンに向けます。
これから心に嫉妬を抱くたびに、それをサタンが働いていることのサインとして受け取ります。
私はサタンに向かって「立ち去れ」命じ、
私と、私の周りの人にすばらしいものを与えてくださった神を賛美します。
「いま持っているもので満足しなさい。神さまご自身がこうにわれるのです。
『わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない』(ヘブル人への手紙13章5節)
神きまがこう語ってくださっているので、私はもはだれに対しても嫉妬する必要はありません。
私はイエスさまを持っているのです。
私に必要なものならすべて与えられると約束されているのです。
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『3 石は重く、砂も重い。しかし愚か者の怒りはそのどちらよりも重い。
4 憤りは残忍で、怒りはあふれ出る。
しかし、ねたみの前にはだれが立ちはだかることができよう。』
(箴言 27章)
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『15 ところで総督は、その祭りには、群衆のために、いつも望みの囚人をひとりだけ
赦免してやっていた。
16 そのころ、バラバという名の知れた囚人が捕らえられていた。
17 それで、彼らが集まったとき、ピラトが言った。
「あなたがたは、だれを釈放してほしいのか。
バラバか、それともキリストと呼ばれているイエスか。」
18ピラトは、彼らがねたみからイエスを引き渡したことに気づいていたのである。
19 また、ピラトが裁判の席に着いていたとき、彼の妻が彼のもとに人をやって言わせた。
「あの正しい人にはかかわり合わないでください。
ゆうべ、私は夢で、あの人のことで苦しいめに会いましたから。」
20 しかし、祭司長、長老たちは、バラバのほうを願うよう、
そして、イエスを死刑にするよう、群衆を説きつけた。
21 しかし、総督は彼らに答えて言った。
「あなたがたは、ふたりのうちどちらを釈放してほしいのか。」彼らは言った。「バラバだ。」
22 ピラトは彼らに言った。「では、キリストと言われているイエスを私はどのようにしようか。」
彼らはいっせいに言った。「十字架につけろ。」
23 だが、ピラトは言った。「あの人がどんな悪い事をしたというのか。」
しかし、彼らはますます激しく「十字架につけろ」と叫び続けた。
24 そこでピラトは、自分では手の下しようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て、
群衆の目の前で水を取り寄せ、手を洗って、言った。
「この人の血について、私には責任がない。自分たちで始末するがよい。」
25 すると、民衆はみな答えて言った。
「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい。」
26 そこで、ピラトは彼らのためにバラバを釈放し、イエスをむち打ってから、
十字架につけるために引き渡した。
27 それから、総督の兵士たちは、イエスを官邸の中に連れて行って、
イエスの回りに全部隊を集めた。
28 そして、イエスの着物を脱がせて、緋色の上着を着せた。
29 それから、いばらで冠を編み、頭にかぶらせ、右手に葦を持たせた。
そして、彼らはイエスの前にひざまずいて、からかって言った。
「ユダヤ人の王さま。ばんざい。」
30 また彼らはイエスにつばきをかけ、葦を取り上げてイエスの頭をたたいた。
31 こんなふうに、イエスをからかったあげく、その着物を脱がせて、もとの着物を着せ、
十字架につけるために連れ出した。』
(マタイの福音書 27章)