聖書は真実なのか? 聖書は真実なのでしょうか。
聖書を引用してそれが真実だと言うことは簡単ですが、なぜそれがわかるのでしょうか。
何か証拠でもあるのでしょうか。
聖書に書かれている内容を信頼できる理由を5つここに挙げてみました。
① 聖書には4つの福音書、つまりキリストと救いについての良い知らせ、が書かれています。
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つの福音書です。
福音書の記者たちは、イエスがどのように働かれたのかを良く知っていました。
マタイは、取税人でしたが、イエスの弟子、またはイエスに従う者となりました。
マルコは初代キリスト教会で教会形成にあたり熱心に働きました。
医師のルカは、キリストの生涯についてよく調べ、時間順に詳細にそれを記録しました。
そしてヨハネも、イエスの弟子の一人でした。
福音書はキリストの働きがなされたすぐ後に書かれたもので、
キリストの働きを実際に目にした人々の証言や歴史的に正確な詳細が含まれています。
キリスト教関連以外の資料や考古学も、福音書に書かれている
歴史的な事実を裏付けています(考古学はこの目的で発生した)。
② 2万5千部から3万部の新約聖書の手書きの複写本が、今日まで残されています。
古代の教会の教師・指導者たちは、新約聖書からいろいろ広範囲にわたって引用しており、
これらの複写本が破壊されたとしても、
新約聖書のほぼすべての書は復元されと思われます。
これらの複写本はその内容に何千もの相違点が含まれている、という批判もあります。
けれども、それらの相違点のほぼすべては、例えば「イエス」と書くか「主」と書くかのような、
些細な違いです。新約聖書の中心的なメッセージを変えているものは、一つもありません。
③ 4つの福音書はすべて、イエスの働きについて語っていますが、
その詳細な点にには違いが見られます。
したがってこれら4つの記録は矛盾しており、真実ではない、ということなのでしょうか。
福音書の著者たちは、様々な理由で様々な読者に向けて、
それぞれの視点から福音書を記述しました
マタイは、ユダヤ人へ向けて書き、イエスが救い主メシアである確信を与えようとしました。
マルコは、ローマに住むクリスチャンに向けて書き、
他の人々に仕えるというキリストの教えと思いを強調しました。
ルカは、異邦人(ユダヤ人以外の人々)に向けて、
イエスは罪のない生き方をすることによって、私たちの罪のための代価を払ってくださった
ことを示しました。
そしてヨハネは、キリストを信じて間もない人々に、
イエスは神の御子であり、イエスを信じる者は永遠のいのちを得る、と教えています。
それぞれの著者は、それぞれ特徴のある書き方をしていますが、
4つの福音書のすべてが同じ基礎的な真理を提示しています。
福音書はまた、弟子たちが時にイエスの教えを理解できなかったことなど、
知られたくない多くの失敗、恥ずかしくなるような記述をもそのまま記録しています。
このような証言は、もし真実でなかったとしたら、
イエスを主と呼ぶ人々によって使われることはなかったでしょう。
④ 新約聖書の複写本を抜きにしても、何世紀にもわたって人々はキリストの物語を口伝えに
語り継いできました。しかも、例えば5つのパンと2匹の魚を5000人に食べさせた奇跡
ことを考えればわかるように、イエスの教えを直接受けた生き証人たちが大勢いたのです。
もし間違った詳細があれば、簡単に潰されていたことでしょう。
⑤ 聖書を書いたのは人間ですし、人間なら間違えることもあるのではないでしょうか。
神は、幻や夢、そして彼ら自身の体験を通して聖書の著者たちを導き、
彼らを通して神御自身のメッセージを伝えました。
テモテへの手紙第2、3章16-17節にあるように、
「聖書はすべて、神の霊感によるもの」なのです。
神は、著者の手に握られたペンを動かしさえしませんでしたが、
その過程を通して著者を導き、文章に霊感を与えたのです。
人間は間違いをおかすという理由だけで、誠実な記録を書き残すことはできない、
ということにはならないのです。 多くの人は、実際に読まずに聖書を否定します。
けれども、聖書は人生における最も深い問いに答える、と主張しているのですから、
少なくとも聖書が何を言わんとしているのかに耳を傾けてみることは
大変、意味のあることです。
一度に一段落ずつ読んだとしても、神は聖書に書かれている真理をあなたに教え、
あなたの生活の中でその真理を活用させてくださいます。
また、イエス・キリストが実存した人物であり、
あなたを愛してくださっていること、そして人生で最大の喜びはイエスに従うことにあることを、
あなたは発見することでしょう!!!