仏さまのお命を無常と言っている。
仏さまのお姿を無我と言っている。
朝な夕な無常尊無我尊を拝みましょう。
2月11日、北山交番署の入り口に日の丸が揚げられていました。一瞬、オリンピック応援の日の丸なのかなと思ったが? 今日は建国記念日(旧紀元節)であることに気が付く。時折にわか雪がちらつくものの、天気も穏やかで気温も高いので、愛宕山公園に登ってみることにしました。報恩寺の2月の法語掲示を写真に撮り、やすらぎの丘を抜けて愛宕山公園へと雪道を踏む。途中、雑木林を眺めて一息を入れる。盛岡市街を一望しながら、展望台に到着。
2月11日は建国記念日・・・
紀元節懐かしい言葉ですね、小学生の頃「紀元節」は式典だけで下校をした記憶が有ります、
紀元節の歌を歌って祝ったものでした、
『雲に聳ゆる高千穂の 高根おろしに草も木も なびきすしけん大御世を 仰ぐ今日こそたのしけれ』
と元気に歌って祝った記憶が有ります。
月も改まって報恩寺の伝道掲示板の文言
仏さまのお命・・・・ 仏さまのお姿・・・
朝に夕なに この爺さん、この文言、頭に置いて 拝んで行きたいと思いますが・・・果たして
11日は紀元節 小学生の頃は校区の雄志の方もお出でになり式典がありました 懐かしいです
この日は其方は大分、暖かった様ですね
この雑木林の写真、何となく冬の趣を感じます
又、頑張られて展望台へ・・・
この日は良いウォーキングの日になったのでないかと思います
では失礼致します
私が小学校の頃は、敗戦後でしたので建国記念日と呼んでいたような気がします。
日本の建国は何時にするのが良いのでしょうか、明治憲法発布された頃?!
無常と無我は常用語として使っていますが、よく理解できない~
私個人としては、無常とは混沌とした時の流れ、無我とは悟りの心境または姿と理解しています。
釈迦仏教では死ねば何もないと教えていたようですが?
あるのは先祖供養をする人の心象として形無くして存在するのではと考えます。
私が小学校の頃に、此の様な歌を歌いました、
「紀元2600年ああ一億の胸が鳴る・・・金鵄輝く日本の映え有る光身に受けて・・・」もう74年前の事ですから、
歌詞もうる覚えですが紀元2600年祭を祝う歌として歌わされました、
此れは、昭和15年(1940)に神武天皇が即位されて、
2600年の此の善き日を祝う歌として歌いました。
本日の無事と報告します
建国の日日の丸は 見られませんでした
週末大雪の予報 うんざり
朝晩、仏壇に手を合わせ合掌! 先祖供養~
我が家では私か妻が交代で仏飯とお水を上げています。
葬儀の作法の時だけ、宗派だのなんだのと言うのですが、日常の供養の所作が大事なのかも。