フランクフルトのようなガマの穂、そろそろはじけるころだ。
ガマは水生植物で、蒲という漢字を使う。草かんむりに、浦と書く。
霞ヶ浦、袖ケ浦、のような沼地や水辺をさしている。
蒲、と言う漢字は、面白いところで使われている。
ウナギを焼いた蒲焼。
蒲鉾(かまぼこ)、昔のかまぼこは、ガマの穂みたいな形だった。
今は布団と書くけど、以前は蒲団だ。昔は、蒲の葉をあんでしきものにした。
これ全部、ウキぺディアの受け売り。
昔から、若葉を食用、花粉を傷薬、葉や茎はむしろや簾(すだれ)の材料として使われてきた。
雌花の熟したものは綿状(毛の密生した棒様のブラシ状)になり、これを穂綿と呼ぶ。火打ち石で火を付けていた時代には、穂綿に硝石をまぜて 火口(ほくち) として用いることがあった。
蒲の穂を乾燥させて、蚊取り線香の代用として使われる事もある。
茎、葉は、樽作りで、樽材の隙間に噛ませ、気密性の向上に利用される事もある。かつてアイヌは茎を編んでゴザにした。
花粉は蒲黄(ほおう)とよばれ、薬用にされる。
日本最古の歴史書とされる『古事記』(712年)の中の「因幡の白兎」の挿話で登場することでも有名である。『古事記』の「因幡の白兎」の説話では、毛をむしり取られた兎に、大穴牟遅神(大国主命)が蒲黄(ほおう)を取って敷き散らし、その上に転がるよう教える。また、「因幡の白兎」が包まれたのは、ガマの穂綿だという説もある。
「蒲の穂」はかまぼこ(蒲鉾)の語源である。昔のかまぼこは板に盛られた現在の形とは異なり、細い竹にすり身を付けて焼いた食べ物を指していた。これは現在のちくわにあたる。ちくわと蒲の穂は色と形が似ていて、矛のように見えるガマの穂先は「がまほこ」と言われている。
蒲焼きも、昔はウナギを開かずに、筒切りにして棒に差して焼いていたので、その形がガマの穂に似ていたことから「蒲」の字が当てられている。
布団も元来は「蒲団」と書き、江戸時代以前に、スポンジ状の繊維質が入った丈夫で柔らかなガマの葉を使って、円く編んで平らな敷物をつくった。