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あなたの心にそっと触れさせてください

自ら語るに落ちた「校長」

2019-07-25 21:16:00 | 愛する心
昭和53年3月に翌月からその学校の監督者となる校長は新任校を訪問する決まりだ。
そうして、現任校長から引き継ぎ文書を受け取り、お互いに捺印を交わす。

現任の松田校長は前年の6月の運動会会場準備中に部下の和田教頭が発見した白人小学校に代々伝わる「青い目の人形」を校長室保管とし、先生方に教材として活用するように促していた。
また、和田教頭は白人小学校の卒業式であり、さらにまた、昭和20年の戦時中に理科室にて箱に入れられ、愛国婦人会と国防婦人会の旗に守られなが展示されていた、昔懐かしい「青い目の人形」を確認していたのだ。
また、発見当時一緒に立ち会った公務補の中橋氏も我が校に伝わる「青い目の人形」であることを断言した。

更に松田校長は和田教頭に命じ、衣装を剥ぎ取り名前を確認させた。
maryと和田教頭は確認し「多分メリー」と読むのではないかの旨を校長に伝えた。

和田教頭は訳あって、旧制中学時代をニッカウヰスキー工場がある余市で丁稚奉公をしながら過ごした。
よって、敵性語であってもあちこち見かけていたのである。
当時はアルファベットとは称さず横文字も称していた。

「わーさん英語が読めんるんかい。」とし、職員には「和田教頭が名前読んだところメリーではないかという。当分の間は戦前と同じく校長室保管とする」つげた。

昭和54年の秋
その名前がわからなくなったと昭和54年から赴任した校長が言い出した。
松田校長から聞くところによると教頭さんがメリーだと言ったらしいな。
その名前が書かれていた場所が削り取られ、maryがわからなくなってしまった。
本当にメリーなのか?
と、和田教頭に質問したという。

本人はmaryがメリーなのかと問いただしかったらしい。
アメリカ人の名前なのかわからないとしたかったのかもしれない。

しかし
「名前があったところがけずりとられている」
とは…
削り取った者にしかわからない事実である。
また、この人形はケースに入れられ、いつも校長しか保管管理にはあたっていない。

当然、状況証拠では、故意に校長がmaryを削り取って、名前を不明にし、間違いなく「青い目の人形」と断言し、名前をメリーとした教頭にも名前が不明であることを認めさせたかったのであろうと推察できる。

まさに、これぞ語るに落ちた。

校長にあるまじき「歴史認識」

2019-07-25 20:48:00 | 愛する心
自分が新たに監督する学校に赴任した学校に「青い目の人形」があった。
それもかつては自分が児童として通っていた学校である。

自分が児童として尋常小学校に通っていた頃に、まだ児童であった自分に当時の正しい世界情勢が把握できていなかったのはやむを得まい。

ただ、その学校の校長となり、当時ことを若き教師に語り継ぎ、ギューリック夫妻の願いはどんな状況下で大勢のアメリカ人の共感を巻き起こしたのかを、その生き証人とし、教育者として学んで教職現場の監督者の者として、正確に把握していなければならない。

なのに、昭和54年4月に白人小学校に着任した校長にはそのかけらもなかった。

教師である前に人としてギューリック夫妻の願いを人道的に理解できない愚か者であったのだ。

ちょいと古いデイタを探していたら…

2019-07-22 13:51:00 | 日記
思わぬ収穫がありました。
 
それは、私の記憶が今は少しずつあやふやになってきている昭和52年当時の出来事を書き留めた文書デイタが見つかったのです。
 
読み返してみると「なるほどなるほど、そうそう、そう言えばこうだったよ」と納得できる文書デイタだった。
 
もちろん、その後に思い出したこともあるので、それも付け加えるとなお真実に近づくだろう。
 
昭和52年。
大学2年だった私が夏休みに帰省した時の思い出。
 
それと、昭和54年。
大学4年だった私に父からの問い合わせがあった夜のこと。
 
古い文書デイタで欠落していたのは、父からMARYの発音を問われ、直ぐには自信を持って回答できなかったので、その同じ夜に私から父へ電話をして「MARY」ではなく「MARLY」だったのではないのかと父に確認した事である。
 
それ以来、私はMARLY説を頑固に主張し続け「おやっさんの見間違いか、記憶違いだろう」とかたく信じ切っていた。
 
それがころりとMARY説に替わるのは、おやっさんの最期の入院の朝の、あのオヤジのカッと見開いて力強く私をにらみつけながら「お前。絶対にMARYだからな。」と言い切った時点。
 
Google翻訳でMARYは「メアリ」と発音されている。
一気に私はMARLY説信者に宗旨替えしたのだ。
 
えっ?何の話かって?
MARYですよ。
k校長の元で名前が削り取られていたとk校長が言う「白人小学校の青い目の人形」の名前のことですよ。

生命保険

2019-07-17 10:16:00 | 日記
命の価格が変化したのか?
 
退職後に生きる為の生活費が少なすぎる?
働くことを辞めたのだから「退職」
「退職」したのだから国が保証する年金でいきる。
でも、年金破綻後のゴタゴタで、消えた年金問題を棚上げにしてたまま、生涯100年時代だとのたまう政府。
 
それで…
生命保険…800万円保証が掛け金そのままで950万円保証
 
これまで加入していた生命保険では、私の死亡時に800万円が支給される。
これまで積み立ててきて保険会社に存在する私名義の資金は546万円あまりだというのだ。
この私名義の資金中の540万円を米ドル建て生命保険にすると、死亡時の保証金は現在の為替レートを1ドル109円として計算すると、ざっくり950万円相当の米ドルになるというとだ。
 
逆に、円で800万円相当の米ドル保証を得るには460万円を米ドル建て生命保険に加入すると良いと言うのだ。
 
今、保険会社に540万円ある。460万円の追い金をするとざっくり1750万円の死亡時保証になる。
 
私の命の価格が800から1750に上がった。
 
ただし縊死での支払いは3年間待たねばならならぬ。

狭心症

2017-06-12 05:33:22 | 日記
心が狭くなったのか。

色々専門医の治療を受けて授かった息子。
あの日のじんわりと響く重い責任と待ちに待った喜びはなんとも言えないものだった。

その子達が家を出て2ヶ月あまり。

夫婦に会話がない。

何か話しかけても「私に、もんくがあるの」との反応が跳ね返る。

何か話しかけられても「なんて下らないことを、さも発見し、上から目線で話しかけるのか」と対応に苦慮する。

ならば、シェルターにこもるか。
一番気楽だ。
お互いに、平和なのだ。

「子は鎹」とは良く言ったものだ。

あと数年もすると子供たちが我々の生き方になんらかのアプローチをしてくるのだろうか。

「このままではいけない」とはわかっているのだが「このまま以外は何も出来ない」のが現実のようだ。

妻は毎晩のように気晴らしに「ミニテニス」に出かけている。
だから一緒な部屋にいる時間は一日あたり二時間あるだろうか。

私が気晴らしに出かけると過程してみた。
帰宅した時の妻の不機嫌さはよくわかる。

まあ、二人で建てたこの家があればなんとかなるのかな?
次男坊のヨサコイのために札幌の街をあちこちはしゃいで急いで移動していた妻はの活気は、今は嘘の様だ。

次男坊はやはり周りに活気を振りまく能力にたけている。

それが内臓も骨格もボロボロの様だ。
それりゃ〜そうだろ〜一週間に六日もヨサコイの練習をしたら…

この三日間、元気のない次男坊からの電話が届く。