昭和53年3月に翌月からその学校の監督者となる校長は新任校を訪問する決まりだ。
そうして、現任校長から引き継ぎ文書を受け取り、お互いに捺印を交わす。
現任の松田校長は前年の6月の運動会会場準備中に部下の和田教頭が発見した白人小学校に代々伝わる「青い目の人形」を校長室保管とし、先生方に教材として活用するように促していた。
また、和田教頭は白人小学校の卒業式であり、さらにまた、昭和20年の戦時中に理科室にて箱に入れられ、愛国婦人会と国防婦人会の旗に守られなが展示されていた、昔懐かしい「青い目の人形」を確認していたのだ。
また、発見当時一緒に立ち会った公務補の中橋氏も我が校に伝わる「青い目の人形」であることを断言した。
更に松田校長は和田教頭に命じ、衣装を剥ぎ取り名前を確認させた。
maryと和田教頭は確認し「多分メリー」と読むのではないかの旨を校長に伝えた。
和田教頭は訳あって、旧制中学時代をニッカウヰスキー工場がある余市で丁稚奉公をしながら過ごした。
よって、敵性語であってもあちこち見かけていたのである。
当時はアルファベットとは称さず横文字も称していた。
「わーさん英語が読めんるんかい。」とし、職員には「和田教頭が名前読んだところメリーではないかという。当分の間は戦前と同じく校長室保管とする」つげた。
昭和54年の秋
その名前がわからなくなったと昭和54年から赴任した校長が言い出した。
松田校長から聞くところによると教頭さんがメリーだと言ったらしいな。
その名前が書かれていた場所が削り取られ、maryがわからなくなってしまった。
本当にメリーなのか?
と、和田教頭に質問したという。
本人はmaryがメリーなのかと問いただしかったらしい。
アメリカ人の名前なのかわからないとしたかったのかもしれない。
しかし
「名前があったところがけずりとられている」
とは…
削り取った者にしかわからない事実である。
また、この人形はケースに入れられ、いつも校長しか保管管理にはあたっていない。
当然、状況証拠では、故意に校長がmaryを削り取って、名前を不明にし、間違いなく「青い目の人形」と断言し、名前をメリーとした教頭にも名前が不明であることを認めさせたかったのであろうと推察できる。
まさに、これぞ語るに落ちた。