I RA N KARA PU TTE

あなたの心にそっと触れさせてください

ちょいと古いデイタを探していたら…

2019-07-22 13:51:00 | 日記
思わぬ収穫がありました。
 
それは、私の記憶が今は少しずつあやふやになってきている昭和52年当時の出来事を書き留めた文書デイタが見つかったのです。
 
読み返してみると「なるほどなるほど、そうそう、そう言えばこうだったよ」と納得できる文書デイタだった。
 
もちろん、その後に思い出したこともあるので、それも付け加えるとなお真実に近づくだろう。
 
昭和52年。
大学2年だった私が夏休みに帰省した時の思い出。
 
それと、昭和54年。
大学4年だった私に父からの問い合わせがあった夜のこと。
 
古い文書デイタで欠落していたのは、父からMARYの発音を問われ、直ぐには自信を持って回答できなかったので、その同じ夜に私から父へ電話をして「MARY」ではなく「MARLY」だったのではないのかと父に確認した事である。
 
それ以来、私はMARLY説を頑固に主張し続け「おやっさんの見間違いか、記憶違いだろう」とかたく信じ切っていた。
 
それがころりとMARY説に替わるのは、おやっさんの最期の入院の朝の、あのオヤジのカッと見開いて力強く私をにらみつけながら「お前。絶対にMARYだからな。」と言い切った時点。
 
Google翻訳でMARYは「メアリ」と発音されている。
一気に私はMARLY説信者に宗旨替えしたのだ。
 
えっ?何の話かって?
MARYですよ。
k校長の元で名前が削り取られていたとk校長が言う「白人小学校の青い目の人形」の名前のことですよ。

生命保険

2019-07-17 10:16:00 | 日記
命の価格が変化したのか?
 
退職後に生きる為の生活費が少なすぎる?
働くことを辞めたのだから「退職」
「退職」したのだから国が保証する年金でいきる。
でも、年金破綻後のゴタゴタで、消えた年金問題を棚上げにしてたまま、生涯100年時代だとのたまう政府。
 
それで…
生命保険…800万円保証が掛け金そのままで950万円保証
 
これまで加入していた生命保険では、私の死亡時に800万円が支給される。
これまで積み立ててきて保険会社に存在する私名義の資金は546万円あまりだというのだ。
この私名義の資金中の540万円を米ドル建て生命保険にすると、死亡時の保証金は現在の為替レートを1ドル109円として計算すると、ざっくり950万円相当の米ドルになるというとだ。
 
逆に、円で800万円相当の米ドル保証を得るには460万円を米ドル建て生命保険に加入すると良いと言うのだ。
 
今、保険会社に540万円ある。460万円の追い金をするとざっくり1750万円の死亡時保証になる。
 
私の命の価格が800から1750に上がった。
 
ただし縊死での支払いは3年間待たねばならならぬ。

狭心症

2017-06-12 05:33:22 | 日記
心が狭くなったのか。

色々専門医の治療を受けて授かった息子。
あの日のじんわりと響く重い責任と待ちに待った喜びはなんとも言えないものだった。

その子達が家を出て2ヶ月あまり。

夫婦に会話がない。

何か話しかけても「私に、もんくがあるの」との反応が跳ね返る。

何か話しかけられても「なんて下らないことを、さも発見し、上から目線で話しかけるのか」と対応に苦慮する。

ならば、シェルターにこもるか。
一番気楽だ。
お互いに、平和なのだ。

「子は鎹」とは良く言ったものだ。

あと数年もすると子供たちが我々の生き方になんらかのアプローチをしてくるのだろうか。

「このままではいけない」とはわかっているのだが「このまま以外は何も出来ない」のが現実のようだ。

妻は毎晩のように気晴らしに「ミニテニス」に出かけている。
だから一緒な部屋にいる時間は一日あたり二時間あるだろうか。

私が気晴らしに出かけると過程してみた。
帰宅した時の妻の不機嫌さはよくわかる。

まあ、二人で建てたこの家があればなんとかなるのかな?
次男坊のヨサコイのために札幌の街をあちこちはしゃいで急いで移動していた妻はの活気は、今は嘘の様だ。

次男坊はやはり周りに活気を振りまく能力にたけている。

それが内臓も骨格もボロボロの様だ。
それりゃ〜そうだろ〜一週間に六日もヨサコイの練習をしたら…

この三日間、元気のない次男坊からの電話が届く。

家書抵万金

2017-06-03 08:55:54 | 日記
今日も曇り。
昨夜からの雨は朝方に上がったようです。


ところで、誰でもご存知の「国破れて山河あり」とは「春望」(杜甫)という詩の冒頭です。


この詩の中に「家書抵万金」って一文がある。これまた昔は日本人がよく使った言葉だそうだ。


「遠く離れた家族から届く手紙は、莫大なお金にも匹敵する、とてもうれしく;ありがたいものだ。」
との意味で使った。


今の天皇が結婚して馬車から手を振る様子を沿道を撮影して大阪に送った。50と60HZの違いを克服したのが早川電気(SHARP)のファックス。
大阪の人々はその日のうちに東京の様子を撮影した写真が新聞に掲載されたことを驚いたらしい。


メールもとても大型のマイクロコンピューターで送受信して居た。
何せコンピュータデータは音に変換して受話器で送受信して居た。
音響カプラーってのが昭和60年頃にはあちこちにあった。


今やスマホで文字どころか写真や動画まで送受信できる。
それも個人個人が所有するモバイルコンピュータで。


そうしてこうやってFacebookで世界中に「ウザ菌」をばらまくことも一瞬ので可能なのだ。


ああ、突然思い出した。
あのザウルスが懐かしい。あれは早く開発されすぎた。
まだ、「移動電話」が「小型クーラーボックス」ほどの多くさだった頃で、ISDN回線ができようとして居た時の携帯コンピュータのザウルスである。


あれ????


ってことで
「家書抵万金」って言葉はもう死語になってしまった。


だがね、ウザイ私はあえて官製はがきは買わずにケント紙を百枚買ってハガキ大に切り取り、切手を貼って出してる。
このハガキは息子どもが「ウザイオヤジからの手紙」だと一目瞭然だからだ。
また、書き損じても、5円の手数料で新しいハガキに交換する必要もない。


私の私製葉書を見て「家書抵万金」と息子どもが感じるはずもないのだろうがね。


単なる自己満足である。


「春望(杜甫)」
感時花濺涙 (時に感じては花にも涙を濺ぎ)
恨別鳥驚心 (別れを恨んでは鳥にも心を驚かす)
烽火連三月 (烽火三月に連なり)
家書抵萬金 (家書萬金に抵る)
白頭掻更短 (白頭掻かけば更に短く)
渾欲不勝簪 (渾べて簪に勝えざらんと欲す)


国都長安は戦乱のために破壊されてしまったが、自然の山や河は昔どおりに残っている。この城内は春になっても、草木が深く生い茂っているのみで、人陰すら見えない。自分はこのいたましい時世に感じて、平和な春ならば花を見て楽しいはずなのに、かえって花を見ては涙をはらはらと流してしまう。家族との別れを恨み悲しんで、心を慰むべきはずの鳥にも心を驚かされる。戦火は三ヶ月もの長い間続き、家族からの手紙もなかなか来ないので、万金にも相当するほど貴重に思われる。自分の白髪頭をかくと、心労のために髪の毛も短くなってしまい、役人が頭につける冠をとめるかんざしも挿せないほどになってしまった。