ゴヨウツツジの会

愛子さまを敬愛しつつ皇室について学ぶ市民の集い

【特別企画】私が愛子さま(雅子さま、皇太子さま=令和の天皇陛下)を好きになった理由

2017-12-01 12:50:07 | 特別企画
あなたが、愛子さま(雅子さま、皇太子さま=令和の天皇陛下)を大好きになった理由、そのエピソードなどを、ご自由にお書きください。

これまでに投稿されたコメントのタイトルとお名前、冒頭の文章だけをご紹介します。全文はコメント欄でどうぞお読みください。胸に響くものがあったら、次はあなたが書く番です! ご投稿をお待ちしています。

■筆舌に尽くしがたいご苦労をなさったのに今もなお美しい。(ワトソン)2017-10-27 02:11:31
お妃候補としてマスコミに追いかけられていた頃からの雅子様ファンです。頭脳明晰、美人、家柄良し、えっ、性格までいいの?とこんなスーパーウーマンが日本に存在したのか、と当時驚愕したものです。ただ、あまりにも学歴、経歴が立派過ぎ、

■雅子さまファン歴25年 (みつばち)2017-10-21 10:28:42
雅子さまについての思いを書かせてください。雅子さまには、一目惚れです。私は雅子さまより10歳年下です。雅子さまと環境も教育も教養も天地の開きがありますが、女性の生き方として、いつも私のお手本であり憧れであり…

■ルイーズさま (AZUSA)2017-10-13 09:48:45
いつもツイッターは一方的に拝読してますが、長い文章は初めて読みました。一行ずつ深く頷きながら、「私もまったく同じ過程を経て皇室への思いが変わっていった」と共感を覚えました。昭和時代の美智子様称賛は凄かったです。年に何度も特集番組があり、

■「日本の象徴」として (ルイーズ)2017-10-08 08:32:35
あらためて書こうと思いつつ、先延ばしにして今日に至ります。語りたいことが多すぎて、冗長とした散文みたいになってしまいました。長文申し訳ないです

■続・「日本の象徴」として (ルイーズ)2017-10-08 10:06:48
最初に違和感を覚えるようになったのは、2003年6月。湯浅宮内庁長官の、「皇太子ご夫妻に第二子を」の発言でした。

■私が東宮ご一家を好きになった理由 (此処から)2017-09-29 21:18:39
なんども書こうとしてなかなか書けなかったけど、今日こそは兎に角書いてみようと思います。私は今年の3月まで仕事と介護に明け暮れる毎日で、皇室についてなんて考えたこともありませんでした

■私が東宮ご一家を好きになった理由 (此処から)2017-09-30 23:36:45
昨日に続き、今日は雅子様のことを書きます。独身時代の雅子様、センスが良くて颯爽としていて、誰もが憧れる方でした。

■なぜ私は女系公認を求めるのか (平成の風雲児)2017-09-21 22:35:24
もはや敬宮様などを好きになった理由というより、なぜ女系を公認しようとするかについてです。(シロキジ様と相談して、その場を借りて話すことにしました。)ゴヨウツツジ最年少である僕は、3年前まで皇室の問題を知らずに過ごしてきました。

■私も一目惚れ (シャマダン)2017-09-12 21:42:44
シロキジ様と同じく、私も雅子様に一目惚れしました。何故か雅子様に強く惹かれて、密かに真似しようとして、スカーフの本を三冊も買ってしまいました(笑)。

■私が皇太子ご一家を応援する理由 (ヘカテー)2017-09-08 11:33:15
いつもは自分のブログで興奮ぎみに話しているので少し落ち着いて私の考えを述べたいと思います。昭和の終わり頃に生まれた私にとって一番古い皇室のお記憶は平成のご成婚です。

■では 私も (老人)2017-08-10 00:41:34
なにしろ、皇太子様はお誕生から存じ上げてるわけです。よちよち歩きの頃、どんなに可愛らしかったか。

■不思議な出来事 (九重)2017-08-09 22:14:14
皇太子さま、雅子様、敬宮様を尊敬し、お慕いする理由は、シロキジさま、anima meaさまが十分にお書きになって、これ以上私がなにか付け加える必要はありません。
でも、ちょっと不思議なことがありました。

■私が東宮ご一家を応援するようになった理由 (anima mea)2017-07-31 21:39:49
私が東宮ご一家を応援するようになった理由について述べさせていただきたいと思います。

■なぜ皇太子ご一家を応援せずにはいられないのか。 (シロキジ)2017-07-31 13:07:25
雅子さまについては私、はじめから一目ぼれでした。

■このお姫さまを全力でお守りしたい (ななお)2017-07-13 11:53:26
今より情報は少なかったけれど、親が見ていた週刊誌や「皇室アルバム」で、皇室のおおよその構成は知っていたし、誰が好き誰が嫌いではなく、皇族の方々に対しては満遍なく好印象だったと思います。


▲2017年3月24日、学習院女子中等科卒業式に向かわれる愛子さまと皇太子ご夫妻。


▲2017年5月3日、東京芸術劇場にて。「ウィーン少年合唱団」ご鑑賞。


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17 コメント

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私は、皇太子一家が大好きです。 (石井)
2018-12-09 11:47:58
私は、ご成婚時から大好きです。
キャリアの仕事を捨てて国民の為に皇太子妃になった雅子様。
秋篠宮様一家とは、最初から自由のレベルが違っていた筈。
相当の気遣いが必要だと思います。
私は、男女関係無しに次の天皇にはしっかりした愛子様がなるべきだと思っております。
それは、愛子様が生まれた時から思っていた事。男尊女卑は何事か?元々は、卑弥呼が作った国であり、日の本である日本。
私の祖先は1300年時代の城主。現在の会津坂下の城主です。クーデターを起こした長州藩の起こした明治後なんてふざけてる。
皇太子一家、ガンバです。応援しています。
返信する
愛子さまを好きになった理由 ()
2018-11-15 12:42:23
はじめまして、烈外派さんのブログを愛読しており、そこでゴヨウツツジの会を知りました。

私は最初愛子様が不憫でなりませんでした。東宮家にお生まれになって、幼い頃から心無い大人からバッシングされ続けて来たからです。そして母君である雅子様は物心ついた頃には一番病気で苦しんでおられて、その姿を見ておれられて…

私はその頃中学生か高校生でしたが、幼い姫君がバッシングされるのを知るたびに悔しくて悲しくてなりませんでした。雅子様や皇太子殿下、高円宮家の方々の叩かれている記事もあり、悲しかったです…

ですが、愛子様はお辛い状況にも負けずに耐えて学問に励んでいらっしゃるのを知るたびに勇気を頂いております。
このような素晴らしいお方がいらっしゃるなんて…日本の誇りだと思います。

ですから私は愛子様を応援し続けたいと思っております。
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Unknown (ワトソン)
2017-10-27 02:11:31
お妃候補としてマスコミに追いかけられていた頃からの雅子様ファンです。頭脳明晰、美人、家柄良し、えっ、性格までいいの?とこんなスーパーウーマンが日本に存在したのか、と当時驚愕したものです。ただ、あまりにも学歴、経歴が立派過ぎ、不敬ながら皇太子様と釣り合わないのではと思っていました。きっと最終的には学習院出身の財閥や旧華族の可愛らしいお嬢様とご結婚されるだろうと勝手に諦めていたら、年明けの婚約内定のニュース速報。びっくり、びっくり。1人暮らしのアパートのテレビの前で喜んだあの時の嬉しさを今もはっきり覚えています。新しい未来が開けるような、希望に満ちた年明けでした。
その後の雅子様のご苦労を思うと、あの時無邪気に喜んで良かったのか、と時々思うことがあります。ただ、筆舌に尽くしがたいご苦労をなさったのに、今もなお美しい。美しい人が美しい鎧を纏ったような外交官時代の雅子様も素敵でしたが、今の慈愛(こちらは本物の慈愛)に満ちた穏やかな表情の妃殿下はもっと素敵です。最近はお出ましが多く、喜ばしいことです。
話は変わりますが、トランプ大統領が来月来日し、天皇陛下に会うとのこと。ご存知のようにトランプ大統領の右腕として大きな影響力を持っている娘婿のクシュナーはハーバード出身。雅子様はマグナ・クム・ラウデでご卒業ですが、クシュナーはクム・ラウデ。雅子様の勝ちです。誇らしい。トランプさんも引退前のヨボヨボ老夫婦より皇太子様、雅子様に俄然興味があると思うのですが。いい加減、外国要人は皇太子様に任せたらどうなんですかね。老夫婦は諸国漫遊してればいいのでは。そういうまともな進言をする人、宮内庁にも政府にも誰もいないんですね。
思い起こせば雅子様の婚約内定のニュースは、報道協定で規制されていたのが、記者会に所属していないワシントンポストが外電でスクープを流したため、協定解除、雪崩を打って報道が始まりました。要は外圧です。宮内庁やマスコミに自浄作用が全くない今、いずれ外国メディアによってこれまでの様々な悪事が暴露される日が来るのではと期待しています。
返信する
雅子さまファン歴25年 (みつばち)
2017-10-21 10:28:42
雅子さまについての思いを書かせてください。
雅子さまには、一目惚れです。
私は雅子さまより10歳年下です。
雅子さまと環境も教育も教養も天地の開きがありますが、女性の生き方として、いつも私のお手本であり憧れであり…苦しみや困難のあり方も含むて…そう、まさしく私にとっての女性の象徴であります。

雅子さまの婚約時から、全国が祝福し、雅子さまに感心する雰囲気を感じつつ、自分の周りやテレビの報道の仕方の端々から、不吉な陰を感じていました。

でも、ちょっと優秀すぎる…でも、ゴージャスすぎる…でも、年齢が高すぎる…でも、真面目すぎる…でも、背が高く立派すぎる…
意外と、紀子さんみたいに、若い何にも知らないお嬢さんのうちに結婚するほうが賢いんじゃなーい?

私の感じた一筋の黒い雲は、どんどん日本に広がって日本を覆って今にいたります。
あの当時より、今のほうが雅子さま的なものを排除する時代の雰囲気があるかもしれません。

女性が自分の力で輝くことは受け入れられず、あくまで男性の補佐であり、または男性の力を利用してのし上がるといった力の付け方なら認められる…。
眞子様佳子様が、「父君や弟君を支える」という役割のみ、期待されしかもそれに対しご本人たちが全く疑問や不満がみえない…そこがまた謙虚で素晴らしい!的な持ち上げ方にもそれは表れています。

私は、少し矛盾しますが、雅子さまが一生をキャリアに捧げず、皇太子殿下と暖かい家庭を築いているところがより一層女性として尊敬するところです。

雅子さまは知性が高いだけでなく、繊細で優しい方で、童心にもあふれている方です。だから幼いものの美しさを歌にうたったりもできる方です。非情にはなれない方でしょう。

全ての女性がそうである必要はないのですが、雅子さまのそういった母性や女性性を、素直に真っ直ぐに評価できる時代であってほしい。
その雅子さまの育てた愛子さまの知性や優しさを、真っ直ぐに評価できる日本であってほしい。


雅子さまの、愛子さまだけでなく他の子どもたちへのまなざしの向けかたは、これからも私のお手本です。


今の日本は内向きです。村の寄り合いや村役場のような内向きの世界では、お取り巻きにだけえこひいきする生き方もありかもしれません。
でも、外向きの世界には通用しないでしょう。皇室に現れてきた問題は日本全体の問題に思えます。

私は雅子さまバッシングを見るのが嫌でネットで皇室のことを読むのは嫌でした。でもヘカテー様のブログからINDEX様のブログを知ったのがちょうど新聞広告プロジェクトが始まったころでした。「わたしたちは、勝てる!」直感的にそう思いました。
明日は選挙です。皇太子殿下の即位も間近です。平成が終わります。
何も変わらないと諦めず、雅子さまの長い苦しみも終わる新しい時代に必ずなる。そう思って、これからもずっと雅子さまファンでいます。INDEX様や東宮応援派の方々のことも、ずっと応援し
ています。
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ルイーズさま (AZUSA)
2017-10-13 09:48:45
いつもツイッターは一方的に拝読してますが、長い文章は初めて読みました。一行ずつ深く頷きながら、「私もまったく同じ過程を経て皇室への思いが変わっていった」と共感を覚えました。

昭和時代の美智子様称賛は凄かったです。年に何度も特集番組があり、歯の浮くような絶賛か、いかに他の皇族方に虐められたかの同情番組ばかり。

そっと主役を雅子妃に譲られていたら、そのままのイメージが固定されたでしょうに。
こんな策を弄して、皇族方に嫌われたのはちゃんと理由があったのだと逆に納得してしまいました。
浜尾さんの「クレバーだがワイズではない」と言われたことも、ああこういうことだったのかと理解しました。

以前はマスコミもまともでした。

婚約発表された時、「こんなにお妃探しが長引いたのは、男児を産むプレッシャーの為。女帝も認めよ」と意見が新聞に出ました。

敬宮さま誕生の時には「性別に関わらず、どちらも祝福できるように典範改正を」

第三子発言の時には「あまりに失礼な発言。それより典範を変えよ」

キコさん懐妊の後は「そこまでして男の子?」というまともな記事が出たのです。

それがいつの間にか酷い東宮家バッシング、秋篠宮家絶賛に変わりました。
昭和時代を見た者は、礼宮がいかにちゃらんぽらんな人か判っています。「まあ、天皇には徳仁さまがなられるのだから」と安心していたのです。
いきなりヨイショされようと、信用は出来ません。

特にあの酷い誕生日会見のキコさんの発言
6wでの懐妊発表
誰しもが、とうとう禁じ手を使ったと思いました。

両陛下の、敬宮さまへの冷淡な態度と違って、悠仁さまへの露骨なえこひいきは見ていて不愉快でした。
「女の子は生まれても価値は無いのだ」と、国民に言ってるのと同じです。
これが21世紀の文明国の姿でしょうか。

でも間もなく悠仁さまには報道規制がかかりました。
まともにお育ちではないのでは、と疑われ始めました。

やがて敬宮さまが学習院で酷い苛めに。
いじめっ子は、一人は川嶋氏と同じ宿舎に住む同僚の孫息子、一人は川嶋氏の教え子の息子でした。
これほどズブズブの関係を、日本のマスコミは報道しませんでした。ネットが無ければ我々も知り得ませんでした。
代わりに付き添いをされる雅子妃を徹底的に叩きました。

優秀な敬宮さまと同じ学校になれば、悠仁さまだけ運動会を写さないわけにいかない。作品を公表しないわけにいかない。
きっと敬宮さまに転校させる目的だったのだと思います。
でも頑張り抜かれた。悠仁さま、というよりキコさんは卑怯な手でお茶小に入学させました。学校生活は殆ど覆い隠されています。
これからも裏口、裏口と東大に入れるようです。
お顔つきを見ても利発には見えない。どこまで国民を騙し続けるつもりでしょうか。いや、今だって騙されてはいません。

もうすぐ御代が替わります。
マスコミはその時になったら、手のひらを返して徳仁さま、雅子さま、敬宮さまをヨイショするかもしれない。
でも一旦失われた信用は取り戻せません。

しかし、生き方というものは顔に出てくるものですね。
あれだけ叩かれながら、却って美しくなられた雅子さま、もはや不気味な顔のキコさん、かつての美しさの欠片も無い美智子さま。
どんなにこっそりやったつもりでも、顔にちゃんと刻まれるのです。
良い意味でも反面教師としてでも、本当に参考になります。
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続・「日本の象徴」として (ルイーズ)
2017-10-08 10:06:48
最初に違和感を覚えるようになったのは、2003年6月。
湯浅宮内庁長官の、「皇太子ご夫妻に第二子を」の発言でした。
何ていうデリカシーのない発言!親戚のおじさんじゃあるまいし‥‥。
世間は「愛子天皇」誕生の予感に胸を踊らせているわけじゃないんだ‥‥と思って、どうしようもなく淋しかったです。
でも、わたしが感じた淋しさ以上に皇太子ご夫妻にとって、特に雅子さまにとってはあまりに残酷な一言であったと、今あらためて思います。
お幸せそうだった皇太子ご一家。
2003年の年末に雅子さまが療養生活に入られた頃、湯浅宮内庁長官から発せられた一言「秋篠宮夫妻に第三子を」の発言。
あれはあまりにむごい言葉でした。
「女は結局生む道具か!女の子は役立たずなんか!」
激しい怒りを感じました。
この当時の週刊誌報道を振り返ると、湯浅長官の発言の背景には天皇皇后や秋篠宮夫妻の影がずいぶん見えてきます。
その頃無邪気な天皇無謬論者であり、皇族性善説論者でもあったわたしは、宮内庁って非情なところだなぁ、冷たい人たちに囲まれてみなさんお気の毒‥‥等と思っていました。
そして翌年の皇太子さまの、いわゆる「人格否定発言」。
あれだけハッキリ述べられたことに衝撃を受けつつ、ご一家が追い詰められていると感じました。
何よりその後の天皇皇后や秋篠宮夫妻の発言が、あまりに冷たかったこともショックでした。
違和感は宮内庁だけではなく、皇族そのものにも芽生え始めました。
ただ、「お立場上、庇うことも出来ないのだろうか‥‥」等、どこか自分を誤魔化していました。
皇族を批判することはどうしてもためらいがあったのです。
2006年の悠仁親王誕生。ハッキリ言います。
あまりにも気分が悪かった。
だましだまし皇族を無批判に支持していたわたしでも、明らかに何らかの意図のある出産であることはハッキリとわかりました。
それでも批判することはどうしても出来ず、嫌悪感を抱きつつ沈黙していました。
天皇皇后と秋篠宮一家による茶番に辟易していた頃、唯一の救いは皇太子ご一家の堂々としたお姿だったかもしれません。
マスコミのバッシングは苛烈を極めるものでしたが、ご一家は動じず、特に皇太子さまは療養中の雅子さまを徹底的にかばっていらっしゃいました。
ご一家のオランダ訪問時の晴れやかなご表情は、本当に麗しく、ロイヤルの輝きと呼ぶに相応しいものでした。
敬宮さまの初等科でのいじめ事件。この一件に紀子妃の実家である川島家と所縁の児童が関わっていた事実を知ったのはずいぶん後のことですが、この時の天皇皇后の言葉が皇室に対する違和感を強めたきっかけの一つです。
あまりにも冷たい。いじめで深い傷をおった子どもに対して、何でこんなに冷たいの?
この頃はまだ体調のご快復途上だった雅子さまは、敬宮さまの登校に付き添われバッシングを受けることになりました。
しかし、いじめという命を奪いかねない暴力から、身を呈して我が子を守ろうとする雅子さまに、わたしは感動を覚えたのです。
そして、幸いにも苦境を乗り越えた敬宮さまは、すくすくとご聡明に成長されました。
この頃から、ご一家は輝きを増していらっしゃったように思います。
嵐のような日々を乗り越え、たくましく力強く、威風堂々とした佇まいを感じさせるほどに。
わたしはすっかり皇太子ご一家のファンになりました。
天皇は「国民統合の象徴」です。
ただ、今の皇室は日本の様々なよくない面を象徴しているようにすら思えます。
雅子さまや敬宮さまに対して行われた数々の仕打ちは、男女平等111位というこの国のミソジニー(女性嫌悪・女性蔑視)の酷さの象徴ではないでしょうか。
病気の雅子さまに対して行われた心ない批判も、精神疾患に理解のないこの国そのものです。
敬宮さまのいじめ事件は、いまだにいじめ自殺が深刻な問題であるこの国の、悲しい一面を見たように思います。
東宮ご一家の苦しみは、多くの国民が抱えている苦しみでもあるように思えるのです。
そうした苦しみのなかにありつつ、力強く輝きを増すご一家は、希望の象徴かもしれません。
ついつい饒舌になってしまいましたが、思いの丈を述べさせていただきました。
わたしがご一家について語るときは、顔つきが違うと言われたことがあります。
どんな顔をしているのか、自分ではわからないのですけど。笑
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「日本の象徴」として (ルイーズ)
2017-10-08 08:32:35
あらためて書こうと思いつつ、先延ばしにして今日に至ります。
語りたいことが多すぎて、冗長とした散文みたいになってしまいました。長文申し訳ないです。
わたしは小学校に入る少し前に昭和天皇が崩御され、物心つく頃に平成という時代が始まりました。
少し大袈裟な言い方をするなら「平成という時代とともに生きてきた」と思っています。
小学校低学年の頃に雲仙普賢岳の噴火があり、その時の今上夫妻の被災地慰問なども記憶に残っています。
何となくですが、「天皇」や「皇室」は特別であり、そしてどこか身近な存在という感覚があって、一言で言うなら好きだったんですね。
数年前までは、今わたし自身が「皇族性善説」「天皇無謬論」と批判している人たちと同じような思いを、皇室に対して抱いていました。
そのことに関しては後述したいと思います。
皇太子ご夫妻に関しては、とにかく婚約内定のスクープが強く印象に残っています。
小学生のわたしには、「ハーバード卒」「外務省」「キャリアウーマン」が実際にどれぐらい凄いのかはわかりませんでした。
ただ、物凄く頭のよく、自立したカッコいい女性が皇太子妃になるのだということは理解出来ました。
まさに新しい時代の「象徴」だと感じました。
ご夫妻がなかなかお子さまに恵まれないことに対して、暗にプレッシャーをかけるような報道もあったように記憶しています。
記者の質問に対して「コウノトリの機嫌を損ねることも」という言葉で、やんわりと交わす皇太子さまのお姿は、とても素敵だった反面お気の毒だと思いました。
「結婚って子どもを作るためにするものなの?子どもを作ることが夫婦の役目なの?女は、子どもを生む道具か?」
10代も後半になる頃には、こんなことを考えるようにもなりました。
わたしのTwitterを読んでくださっている方はご存知かもしれませんが、わたしは同性愛者です。
思春期にはそれを自覚していて、「結婚」や「子ども」は生涯無縁だと何となく感じていました。
今となっては失礼、かつ不敬で幼稚な考え方だと思いますが、「子どものいない人生」という部分で自身と皇太子ご夫妻に重ね合わせる何かがあったのかもしれません。
そう思っていた頃、雅子さまの最初の懐妊報道。やはりうれしかったです。
これで、ご夫妻が淋しい思いをなさらないだろうという安堵と、何より新しい命の誕生の予感で、胸が躍りました。
そして年末の流産報道。あまりに悲しく、雅子さまのお気持ちを考えるとあまりに痛々しかった。
そしてあまりに早い段階で報道したマスコミへの怒りを感じ、考えもなく喜んでしまった自分を恥じました。
おいたわしい雅子さま、でもきっと皇太子さまが守ってくださる。
ご夫妻に対して、祈りのような気持ちもあったのです。
そしてふたたびご懐妊の報道、2001年末の敬宮さまご誕生。
本当に大きな喜びでした。
待望のお子さまが女の子であったこと。
わたしは日本史も世界史も好きなのですが、女帝や女王の時代はとてもドラマチックです。
数百年ぶりの女帝誕生に、立ち会えるかもしれないと思うと、とてもエキサイティングでした。
今思うと単なるミーハーですよね。何だか恥ずかしい。
そして雅子さまの「生まれてきてくれてありがとう」という言葉。
感動的でした。その言葉の重みを、わたしが知るのはまだ先のことでしたが。
2002年の年明けは、どこの神社にも「奉祝皇孫殿下御誕生」ののぼりが立っていました。
明るく素晴らしい時代がやってくるような、そんな予感がありました。
その時までは‥‥。
(長くなるので、投稿をわけたいと思います)。
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私が東宮ご一家を好きになった理由 (此処から)
2017-09-30 23:36:45
昨日に続き、今日は雅子様のことを書きます。独身時代の雅子様、センスが良くて颯爽としていて、誰もが憧れる方でした。でも皇室に入られて間も無く、曖昧な笑みを浮かべ、いわゆる皇室ファッションに身を包まれるようになられて、次第に関心を失いました。私が興味をもたずにすごしていたこの20年余りのうちに雅子様は大変なおもいをされていたのですね。
この春、私は18年振りに高校・大学を共にした親友に会いました。
彼女は地元で小学校の教師をしていましたが、今から15年前に鬱病になり、仕事も辞めざるをえなくなりました。仕事上の悩みだったようです。久し振りに会った彼女を見て驚きま社交的でなんに対しても前向きだった人が、待ち合わせの場所におどおどとした態度で入ってきて、視線を合わせることも難しいようでした。話していても自分のことに否定的で全てのことに自信を失っていました。本当になんて声をかけていいのか迷いつつ話をしました。彼女と別れた後、彼女の失われた15年間を想像し、なんとも言えず悲しくなりました。病はこんなにも人を変えてしまうのかと暗澹たる気持ちになりました。22東京で同じ職業についていた私にも様々な困難や失敗があり、最後までなんとか続けられたのが不思議なくらいです。私にも病む可能性は大いにありました。誰も絶対に大丈夫ということはないのだと改めて思わされました。その時、雅子さまのことを思いました。最近のように公務に出られる様に なるまでにどれだけの自信回復の時が必要だったか、そしてどれだけ皇太子様や愛子さまの存在が力になったかという事に思い至りました。よく雅子さまについて公務を怠けているとか選り好みをしているとかと言って攻撃している方たちがいる様ですが、これほど的外れなことはありません。側から見れば簡単に見える事も、ものすごく大きいハードルに見えたのだと思います。そのことを一番理解してらしたのは皇太子様です。だからせかさないでじっと待っていらしたのでしょう。大きい方だと思います。東宮ご一家を応援している方々もそこを本当によくわかっていて、雅子様が公務に出られるかどうか、固唾をのんで見守っていて、姿を拝見すると我が事の様に喜び合っているところがステキだなと思います。また、公務に出られなくなった時も、無理をしないでくださいというコメントがあちこちに見られて、本当に皆さん優しいですね。私、思ったんです。あの意見広告を雅子さまは御存知なのではないでしょうか。不遜な言い方かもしれませんが、愛子さまを天皇に云々という以上に様々な批判のある中で自分たちのために立ち上がってくれた人たちがいるという事に何よりも励ましを受けられたのではないでしょうか。8月以降本当にお元気で活き活きしたお姿を拝見することが多くなりました。まだ波はあると思いますが確実に回復に向かっていると思います。苦しい日々だったと想像しますが、近い将来 、人の痛みに想いを馳せることのできる内外共に美しい皇后になられることを確信しています。とにかくその存在を目にするだけで胸が熱くなるなんて最強ですよね‼️
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私が東宮ご一家を好きになった理由 (此処から)
2017-09-29 21:18:39
なんども書こうとしてなかなか書けなかったけど、今日こそは兎に角書いてみようと思います。
私は今年の3月まで仕事と介護に明け暮れる毎日で、皇室についてなんて考えたこともありませんでした。完全に職業生活からリタイアした3月に、娘からiパッドをプレゼントしてもらいました。面白くて色々なツイッターを眺めているうちに東宮派応援ツイート、ブログに出会ったのです。そして愛子さまの卒業式の姿を拝見して忽ちファンになってしまいました。風の中を歩いて来られる三人のお姿があまりにも清冽で、なんとも言えない感動を覚え、涙が溢れてきました。
皇太子殿下のこれまでの印象は失礼ながらいつもニコニコしているけど面白みがない方なのかなと思っていました。でも宮内庁のホームページでこれまでのお言葉や講演の内容、海外訪問の後の感想などを読ませていただいたら、なんて知性に溢れ洞察力に富んだ方だろうと
認識を新たにしました。そして、国内外を問わず、そこで見たこと聞いたことが、どんどん蓄積され、ご自分の研究に活かされていることがわかりました。きっと殿下はこうやって生涯研究と探求をしていかれるのだろうと思います。正直言って、雅子様と結婚される時(どうしてあんなに素敵な人が皇太子と結婚するんだろう。勿体無い)と思いました。ごめんなさい。ずっとそう思っていました。でもこの数ヶ月でその理由がわかりました。皇太子殿下は長い年月をかけ土の下にしっかりと根を張り、少々のことでは倒れない大木になり、おおらかに幹や葉をつけていらっしゃるのではないでしょうか。それは殿下と妃殿下がこれまでに培って来られたもので、お二人の交わされる信頼感に満ちた眼差しにそれを感じることができます。知性、 人間性は一生かけて磨かれるものです。そういう意味で皇太子殿下は本当に素晴らしい方だといまは心から思います。( これまでの非礼をおゆるしください)
今日は皇太子殿下のことだけで力尽きてしまいました。雅子様と愛子さまのことはまた日を改めてかかせていただきます。
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なぜ私は女系公認を求めるのか (平成の風雲児)
2017-09-21 22:35:24
もはや敬宮様などを好きになった理由というより、なぜ女系を公認しようとするかについてです。(シロキジ様と相談して、その場を借りて話すことにしました。)ゴヨウツツジ最年少である僕は、3年前まで皇室の問題を知らずに過ごしてきました。ある日、小林よしのりさんの[民主主義という病]を読み、自らの無知を思い知らされ、ありとあらゆるものを学び直しました。皇室の問題では、男系固執派と女系公認派の本やサイトをたくさん見ました。そして、こう思うようになりました。[伝統を守るとは、変化を否定するものではなく、時代ごとに変化しながら、その伝統の根幹を守ることである。]つまり、国体(皇室と国民の信頼関係)という根幹が大切であり、それが崩れないように上手に皇室のあり方を変えていくべきだと考えたのです。旧皇族の子孫を即位させたら、国体を護持できないと思いました。そもそも旧皇族は、山県有朋が、[俗にまみれている]と激怒し、のちに昭和天皇が皇室から離脱させたのです。GHQ によるものではありません。旧皇族の子孫は、皇室を離れて、すでに一般人となっています。彼らを、天皇の血筋だというだけで、即位させるのは国体の危機だと思います。男系は、男性が即位、女性が一般人から嫁いでくるというものです。女系は男女が入れ替わっただけです。一体なんの問題があるでしょうか?私は、男系を維持するのか、女系を認めるのかは、皇室が決めるべきだと思います。だから、男系男子に限るという条文を消し、皇室の自由意思によって誰が即位するべきか決めるべきです。また、男系固執派からのバッシング対策として、皇位継承に対する皇室の神聖不可侵も記すべきでしょう。陛下はこう言われました。[男性か女性かではなく、将来の日本を担えるものが天皇にふさわしいと思います。(うろ覚えですすいません)]私たちは、この言葉の意味を噛み締め、国体を守っていくべきです。
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私も一目惚れ (シャマダン)
2017-09-12 21:42:44
シロキジ様と同じく、私も雅子様に一目惚れしました。何故か雅子様に強く惹かれて、密かに真似しようとして、スカーフの本を三冊も買ってしまいました(笑)。そんな憧れの雅子様の大事な家族である、東宮殿下と敬宮愛子様は、いらっしゃるだけで有り難い存在です。だから、ここ最近のご一家に対する報道を見聞きすると、気が重くなります。私はご一家に「応援しています。あなた方は何一つ悪くはありません。」と伝えたいです。
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私が皇太子ご一家を応援する理由 (ヘカテー)
2017-09-08 11:33:15
いつもは自分のブログで興奮ぎみに話しているので少し落ち着いて私の考えを述べたいと思います。

昭和の終わり頃に生まれた私にとって一番古い皇室のお記憶は平成のご成婚です。

テレビで見た雅子さまの美しさを私は「わー、きれい」と素直に見とれました。

それ以降定期的に放送される皇室スペシャル番組の主役は表向きは皇后でしたが、本当の主役は雅子さまでした。

そのお二人の間にお子様が何年も生まれない。

まだ子どもでしたから、「早く赤ちゃんが生まれればいいなー」と呑気に考えていました。

お二人がどれほど苦しんでいたかも知らずに。

2000年の朝日のご懐妊スクープ後に流産された時は学生だった私も怒りを覚えました。

「雅子さまがかわいそう!ひどい!」とクラスメイトとも話しました。

そして2001年12月1日

テレビでお子様が生まれたと速報が出て本当に嬉しかった。

「女の子かー。次の次の天皇陛下は女の人がなるんだ」

と素直に思いました。

まだこの時、私は現在の皇室典範という法律上「天皇は男のみ」と定められていると知らなかったのです。

女性天皇が昔存在したと小学校の歴史の授業で習っていたのですから、敬宮さまが天皇になれないと思わなかったのです。

定期的に放送される敬宮さまのご成長ぶり

小泉総理が「愛子天皇!いいじゃありませんか」とテレビカメラの前で言った。

国民皆が納得する「男女関係ない直系長子相続」になるはずだった。

それがあの日を境に止まってしまった。

ご懐妊6週間スクープ

その後の茶番劇

生まれた子がやっぱり男子だったと知った時、

「ああ、皇太子ご夫妻がかわいそう」と思いました。

皇太子ご一家バッシングは既に始まっていた。

どうしてこんな風に叩かれなければならないのか?

男の子を生むことが出来なかったということで病気になるまで追い詰められたのに?

敬宮さままでもが叩かれた。
虐めの被害にあっても叩かれ、マスコミからストーキングされた。

ネットを見れば皇太子ご一家に罵詈雑言を並べるサイトばかり

本屋では「識者」「皇室ジャーナリスト」が書いた皇太子ご一家を批判する本や雑誌が並ぶ。

どうして?どうしてここまでひどい目に合わなければならないの?

こうして社会人になった私は

皇太子ご一家バッシングが一番ひどい時からある東宮応援派ブログを拝見し、自分の中の皇室への見方がガラリと変わりました。

そして自分も勉強するようになりました。
昭和に発行された雑誌から21世紀の現在に発売された書籍を購入、図書館と通じて県内の別の図書館の本を取り寄せたりと。

皇太子殿下の真面目さや責任感の強さ、雅子さまの経歴や家柄やご性格、敬宮さまが努力家でお優しい性格かということ

皇太子ご一家を応援していた自分は間違っていなかった。

女性天皇が即位しても何一つ問題はないということ

次の天皇のただ一人のお子様であり、努力家で優しいご性格の敬宮さまが次の次の天皇として即位することが自然だ。

そのように心から思います。

皇太子ご一家は現在日本の象徴です。

・メンタル系の病気への無理解
・「働かざる者食うべからず」という病人への批判
・女は才能があっても男子を生まなければ無能
・女の子なんて不要な存在で虐められても庇わなくてもいい
・学校でのいじめ問題への無理解
・男尊女卑思想

日本が抱える問題をご自分で体験されたお二人ならば必ず真の天皇皇后となられるでしょう。
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では 私も (老人)
2017-08-10 00:41:34
なにしろ、皇太子様はお誕生から存じ上げてるわけです。
よちよち歩きの頃、どんなに可愛らしかったか。今もyoutube で見られますが、「浜名湖一人旅」(浜尾侍従のお供はあるけど)の時の凛々しいお利口さん振り。
国民は本当に安心して「将来の天皇」を見守っていました。
小学校高学年~高校時代はマスコミ報道も少なかったと思いますが、大学時代のオケ仲間の皇太子評・・・
「上手くはない。でも日本一の先生についてるし、あの性格だから完璧にさらってくる」
当時、ちょっと野暮ったい感じもあった皇太子さまの生真面目な一生懸命さがうかがえます。
一方でお若いながら ご両親を補佐し、天皇家の縁の下の力持ちにも見え、私は「日本一立派で感心な息子」(失礼)と呼んでいました。

そして、雅子様
今はワイドショーのコメンテイターは芸能人ですが、当時は女性評論家が主でした。
雅子様のオックスフォードでの街頭インタビューのビデオが終わった瞬間、木元教子氏が「すばらしいっ」と叫びました。「こんな日本女性がいるなんて。お妃候補じゃなくても日本女性がここまでなったかと思うと誇らしい」というようなコメント。忘れられません。
「きれいだ」「さわやかだ」などと外面を評したのではなく、人間として立派に務めている姿を評価したのです。そしてスタジオ中「皇太子妃はこの方」で意見一致したと記憶してます。
今の「男子を産みさえすれば中身なんかどうでもいい」という一派と真逆でした。

皇太子様は雅子様以外は眼中になかったのですし、雅子様もあの皇太子様でなければ困難が待ち受けているであろう皇室に敢えて入る決心はつかなかっただろうと思います。

でもその後、これほどひどい困難、ある意味虐待が待ち受けてたとは。
見て見ぬ振りをしてきたことに 申し訳なさで一杯です。

愛子様はもう、最初からオーラに包まれ、一般のあかちゃんではありませんでした。赤ちゃん時代のお手振り姿をみて 皇室DNAを感じたものです。
幼稚園時代の舞台上のお歌に始まり、運動会の活躍、お習字の素晴らしさ、楽器を弾き、スポーツ万能、学業優秀、もう何を取っても、どこまで語っても、素晴らしいの一言です。
どんなにバッシングしても、この優秀さ、素晴らしさを無かったことには出来ません。
世界に向かって自慢したいですね。

国政を担い、国の将来を考えている筈の方々、思惑やら利権やらは忘れ、どなたが国の為に必要か、良く考えてもらいたいものです。


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不思議な出来事 (九重)
2017-08-09 22:14:14
皇太子さま、雅子様、敬宮様を尊敬し、お慕いする理由は、シロキジさま、anima meaさまが十分にお書きになって、これ以上私がなにか付け加える必要はありません。
でも、ちょっと不思議なことがありました。
私のスマホのアルバムは、娘から送られてくる赤んぼの写真がほとんどです。
でも、ある日、何か他と色調の違うのがあったので、拡大してみたら、なんと皇太子ご一家が敬宮様の中等科ご卒業の時に、にこやかに手を振っていらっしゃる写真ではありませんか。
なぜ私のスマホにご一家の写真が入っているのか、どう考えてもわかりません。気に入った写真を自分のスマホに取り込むようなスキルは、スマホ初心者の私にはありません。
これはきっと神様からのプレゼント、ありがたいことだと思って、時々眺めてご一家のお幸せを念じております。
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私が東宮ご一家を応援するようになった理由 (anima mea)
2017-07-31 21:39:49
私が東宮ご一家を応援するようになった理由について述べさせていただきたいと思います。

【皇太子殿下について】

まず皇太子殿下は、物心ついた時から「誠実で真面目できちんとしていらっしゃる、将来の天皇陛下となられるのにふさわしい方」というイメージがずっとあり、そのイメージが変わることなく現在に至っております。そして、真面目だけではなく、皇太子殿下の持つ威厳と柔らかさ、安心感、包容力、そして気取らず自然体なお姿、ユーモアセンスをお持ちの所など、大人になってから色々と気付いたこともたくさんありました。
「皇太子殿下なら安心して日本国の象徴になっていただける。きっと素晴らしい天皇陛下になられるだろう」という期待と思いは、私の中ではむしろ強まっています。

【皇太子妃殿下について】

次に雅子妃殿下は、長い間ずっと皇太子殿下の「想い人」であり、美しさ、聡明さ、申し分ない学歴と経歴、きちんしたお家柄、努力家で真面目なお人柄など、ぜひ皇室に入っていただいて皇太子妃殿下、そして未来の皇后陛下になっていただくのにふさわしい方だと感じておりました。一方で、正直に申せば、当時は雅子妃殿下がこれまでのキャリアを捨てて皇室に入られることを「もったいない」と感じた部分もありました。しかしその思いも「外交官という経歴を活かして“皇室外交”を担われれば良いのではないか、これからの皇室も現代に合わせてグローバルな視点を持つことになればいいのではないか」という見方になりました。きっと世界に誇れる皇太子妃殿下・皇后陛下になられるという期待は、昔も今も私の中では変わっておりません。
雅子妃殿下になかなかお子様が授からなかった期間、当時の私はワイドショーも週刊誌もほとんど見なかったですしネットもそこまで発達した時代ではなかったので、雅子妃殿下の身に何が起こっていたのか、本当はどのような苦悩を抱えられていたのか、ほとんど知ることはありませんでした。ただ私はお子様のことはあまり焦らず「いつか授かることができるだろう」という感じで静観していました。
そして敬宮愛子内親王殿下がお生まれになった後に雅子妃殿下が帯状疱疹で倒れ長期療養に入られたことがわかると「ああ、雅子様、相当のストレスを抱えていらっしゃったんだな、国民から見えない所できっと様々な苦悩を抱えていたのだろう」と深く同情し、無理せず休まれてほしいしこのことで国民は大騒ぎしない方がよいのではないかと思いました。しかし当時の私は恥ずかしながら、雅子様が具体的にどういう状況に追い詰められていたのか、よくわかっていないことが多かったのです。「皇室という特殊な世界で、皇太子妃というお立場なので色々な苦悩があるのだろう」くらいのことしかわかっていませんでした。当時は「雅子妃殿下はきっといつか回復されるだろう」という気持ちで静観することしかできませんでした。
その後悠仁様がお生まれになった時、私は雅子妃殿下のお心にまず思いを馳せました。当時の街頭インタビューで「雅子様のお気持ちを考えると…」と言葉を濁していた女性のコメントに心底同意しましたし「お子様が生まれたからおめでたいのか?それとも男子が生まれたからおめでたいのか?」という疑問を投げかけた乙武氏の言いたいことも理解し、「きっと国民の多くは雅子様に同情しているだろう、ネットも同じ意見で溢れているだろう」という思いでネットを検索してみたのです。
ところが、私がそこで目にしたのは、雅子妃殿下を口汚く罵る大量のサイトと、男子を出産した紀子様に対する称賛意見でした。そして上記発言をした乙武氏のブログが大炎上したということも知りました。私は当時まだネットを始めたばかりでしたが「これはさすがにおかしい、こんなに意見が偏るはずがない、これは何かが起きている」という確信を抱きました。
私が東宮ご一家を支えたい、応援したいという大きな転機になったきっかけでした。
それまでの私は、「皇太子ご夫妻がいらっしゃれば安心だ、ただ皇太子ご夫妻はほかの皇族とは違う重圧をたくさん抱えているのだろう」という気持ちは揺らがなかったものの、そこまで皇室に強い関心があるという感じではありませんでした。これも正直に打ち明けますが、当時の私は「天皇は男性しかなれないようだし、悠仁様が生まれたのなら悠仁様が継承者でいいのでは?」くらいの軽い気持ちでいたこともありました(男系男子支持とまではいかなくとも「男子でいいんじゃない?」という程度の適当な気持ちといいますか…)。
しかし上記の考えは、先述した異常なネットの状況で一変しました。皇室に関することを数年かけて自分なりに勉強し探ろうとした結果、今の私は完全な東宮ご一家応援派になり、天皇という地位もぜひ敬宮愛子様に継いでいただきたいという強い願いを抱くまでになりました。
雅子妃殿下は、たとえご病気で療養されても公務がままならなくても「そこにいらしてくださるだけで有難い」方なのだとわかりました。皇室外交、国際的な活動、そういうことも確かに大切ですし雅子妃殿下にもこれからうんと活動していただきたいという気持ちもあります。しかし、それよりももっと重要なのは「たとえ思うように動くことができなくても、皇太子妃殿下はそこにいらしてくださるだけで良いのだ、そして国民が見守っていくことだ」と気付きました。
雅子妃殿下は現在の日本女性の苦悩を一身に背負ってしまわれた方でもあると思います。どんなに華麗な学歴・経歴を持っていても聡明であっても「女は結婚して子供(特に男子)を産むことができなければ意味のない存在だ」という日本全体の“本音”の犠牲者になってしまった方だと。当時の私も自分の将来や今後のあり方に悩み悲しい思いをしていた時期でした。「仕事もままならない・結婚しない(できない)・子供を授かれない」ということで人知れず心に重荷を抱えている女性は少なくないと思われます。
昔から、決して少なくない国民が「舅・姑目線」で雅子妃殿下を見ていたことは否定できないと思われます。そういう意地悪の入った視線を少しでも減らしていれば、そしてそういう意地悪な目線でみることを止めないか?と提言する人が多くいれば、雅子妃殿下が追い詰められることもなかったかもしれないという思いがあります。
そういう舅・姑目線で皇太子妃殿下を見ることを止め、宮内庁やマスコミの行き過ぎた態度をきちんとたしなめ「我々国民は雅子妃殿下を応援しています!」という姿勢を見せることが今では重要なのだという考えに至りました。「皇室は特殊な世界だし、私たちとは違うことも色々あるから…」という見方に終止符を打つべき時が来たと思います。
日本女性特有の苦悩を一身に背負われた皇太子妃殿下に安心で平穏無事な毎日を送っていただけるように妃殿下を応援するという姿勢を明確に打ち出すこと、これこそが日本という国を守ること、世界に誇れる国にすることにつなぐために最優先のことだと私は考えます。

【敬宮愛子内親王殿下について】

敬宮様がお生まれになった時、私はまず「皇太子殿下にそっくり」ということに微笑ましさを感じました。当時の新聞の「パパそっくり」という見出しが可愛かったのもよく覚えております。ぷくぷくとした健康的な赤ちゃんで、当時の私は「今の時代では女子は天皇になれないようだけど、敬宮様はきっとエリザベス女王のような大らかで威厳のある女帝になるだろう」という思いが頭をよぎりました。その頃の私は「いくら何でもご出産までこれだけ苦労された皇太子ご夫妻に、まさかこれ以上のお子様(男子)を求めるような鬼畜なことはしないだろう、このままいけば敬宮様が天皇になられるだろう」と安易に考えていたフシがありました。
私が完全に敬宮様ラブになったきっかけは、本当にちょっとしたことなのですが、東宮御所の玄関前にご両親とお出になった時の敬宮様が初めて前髪を上げた髪形をされていたのを拝見したことでした。おでこを出された敬宮様があまりにも可愛らしくて「こんなに可愛かったんだ~」とそれからメロメロ(?)になりましたw
その後、敬宮様のお写真を拝見することがとても楽しみになり、敬宮様がお召しのお洋服やお持ち物にも関心を持つようになりました。お写真を拝見するたびに「可愛いなあ、美しく成長されたなあ」と感慨にふけっております。
敬宮様もご両親である東宮ご夫妻と同じく「ただそこにいらしてくださるだけで有難い」ということに変わりはありませんが、それにとどまらず成績もご優秀、スポーツも得意、音楽や美術のセンスも良い、お習字も作文も素晴らしい、動物の殺処分にお心を痛められるようなお優しさやいじめなどの困難を乗り越える強さもお持ちであり、同時に幼い頃からお相撲などもお好きなユニークな一面もお持ちでいらっしゃり、そしてご成長につれてどんどん美しさと上品さを増していくとなれば、これはもう敬宮様のファンにならなくてどうするというのでしょう。敬宮様はまるで物語の中から出てきたような、正統派姫君の魅力を余す所なく国民に見せてくださっていると思います。
以前は軽い感じで「悠仁様が生まれたのなら彼が天皇でいいのでは?」と漠然と考えていた私が言うのもなんですが、今では割と真剣に「政治も経済も行き詰まり、閉塞感が漂う今の日本を明るい方向に打開できるのは敬宮様しかいらっしゃらない」という気持ちでおります。敬宮様が天皇陛下になられたら日本や世界はどうなるだろう…ということを想像するだけで、非常にワクワクした気分になるのです。
今の政治家や有識者(?)が、どうして敬宮様立太子・天皇即位の方向に大きく舵を切らないのか、非常に不思議で仕方ありません。敬宮様が女性天皇になられたら歴史的に見ても国際的視点から見ても良いことしか思い浮かばないのに、なぜこの機会を政治家は完全に無視するのだろうか?政治家は日本を良くしたいという気持ちがないのか?という疑問は日を追うごとに強くなっています。
東宮ご夫妻に「天皇直系の一人子」である敬宮様がいらっしゃるのであれば、敬宮様が即位されるのが一番望ましいですしふさわしい。そういう思いを国民全体でもっとしっかり共有したいと願います。このゴヨウツツジの会が、敬宮様をはじめ東宮ご一家=次期天皇ご一家を応援し更には敬宮様のご即位を実現することができるように働きかける会に成長することを、心から祈りたいと思います。
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なぜ皇太子ご一家を応援せずにはいられないのか。 (シロキジ)
2017-07-31 13:07:25
雅子さまについては私、はじめから一目ぼれでした。

お妃候補としてマスコミに騒がれていらしてカメラに向かって美しい目でこちらをまっすぐ見据え、「私はこの件について関係ありません」といったことをお話になったのを拝見したのがはじめてだったと思うのですが、その美貌、毅然たる物言い、外務省にお勤めというご優秀さ。
雅子さまは当時否定なさっていたにもかかわらず、
私は、「もう、この方しか皇太子妃としてはありえない」と感じたのでした。
皇太子殿下も同じお考えたっだようで、一時期、候補から消えかけてやきもきしたのですが殿下は見事に雅子さまをゲット(俗な言い方でごめんなさい)。
晴れてお二人はご結婚される運びとなったのでした。

しかし、正直、婚約内定報道後にいわゆる皇室風のスマイルというのでしょうか、あいまいな笑みを浮かべ登場した雅子さまに軽い違和感を覚えてしまったのも事実です。
「うーん、なんか雅子さま、皇室の人になっちゃったなあ」みたいなヘンな感想を持ってしまいました。

お二人そろってのご婚約会見で、お美しかったけど緊張交じりにお話になる雅子さまに、「なんだかこの方をとんでもない窮屈な世界に閉じ込めてしまったのではないだろうか…」と危惧してしまったものです。
別に私の力で皇室にお入れしたわけではないですけれども、当時かなり多くの国民が「やっぱり皇太子妃は、小和田雅子さん!」と思って、そんなエネルギーの渦も雅子さまの入内の後押しをしたのではないかなどとなんとなく思ってしまうのです。

せっかく外交官のキャリア目指して一生懸命なさっていたところを半ば強引に皇室に取り込まれたような形ではいられた雅子さま。
でも、その後の映像などで、皇太子殿下と仲良く山登りなさったり、犬を飼われたり、といった話題を目にするにつけ、「よかった、殿下とも、仲むつまじいようだ。良いご結婚だったんだ」と胸をなでおろしました。
中東ご訪問のときの鮮やかなグリーンの衣装で砂漠を闊歩された雅子さまのお美しかったこと。「この方に皇室に入っていただいたのは正解だった」と思ったものです。

ところが…。
徐々に暗い影のようなものが忍び寄ってきてしまいます。
お二人に中々お子様が授からない。
実は私も結婚して、子供が欲しかったのですが、とうとう授かりませんでした。皇太子ご夫妻は後に愛子さまという素晴らしい内親王様に恵まれますので厳密には私などとは違うのですが、一般人でも子供を望んでできないというのはつらいこと。さらにはお二人はお世継ぎを求められるお立場。どれだけひどいプレッシャーがかかっているのかと本当に心配でした。

そして2001年、待望のお子様に恵まれます。かわいらしい内親王様。
正直に申し上げます。私の心は晴れませんでした。「女の子のお子様…、でも、皇室って男の子じゃないと皇位を継げないんだよね。じゃあ、雅子さまはまたひどいプレッシャーにさらされてしまうの?」
そのプレッシャーのひどさは愛子さまお誕生後の会見時の雅子さまの涙にもこめられているような気がしました。
「私はこの子が無事生まれて来てくれて本当にうれしい。でも、周りの環境は決してそうではない…」
そんなお気持ちではなかったかと勝手に想像してしまいました。
その時、記者団からいたわるような暖かい拍手が起きました。まだマスコミもこのころはましな状態だったのですね。(マスコミへの文句はまたのちほど)
それでもお二人はお生まれになった内親王を愛情深くお育てになりました。

両殿下がお子様に「愛子」という名前をお付けになったとき、とても感動しました。
皇室の方だと格式ばったいかめしいお名前になるのかな、と思ったのですが「敬宮愛子内親王殿下、愛子様」と聞いた時は「良いお名前だなあ、やさしい響き。本当にお子様に愛情を持っておられるのだな。」としみじみ思いました。
そして赤ちゃんながら愛子さまの皇女オーラの半端なかったこと。「こんなに威厳ある赤ちゃんって見たことない」と思っておりました。

しかしその後も雅子さまの苦難が続きます。雅子さまの「適応障害」の公表。
その前に皇太子殿下の「人格否定発言」があって、皇室というところはどうなってんだ!?とようやく鈍い私もお二人を取り巻く環境がひどい状態だったのだと徐々にわかってきました。

そんな風にごたごたしている中、政府でとある動きがありました。
「女性天皇でもいいんじゃない?うん、僕は良いと思うけどね」
当時の小泉総理が例の軽い調子でそう言ってくれたとき、私の(あるいはおそらく日本の)上に重たくかぶさっていた分厚い雲のようなものがさーっと晴れたような気がしたものです。こうして女性・女系天皇を認める有識者会議が始まりました。
「そうか!女性でも天皇になれるように変えられるんだね!愛子さまでも継げるようになるのが一番良い!そうなれば雅子さまも苦しまなくてもすむ!」

しかし…有識者会議も、秋篠宮紀子妃のご出産により凍結されてしまいました。
このときは腑に落ちないことだらけでしが、「でも、まあとにかく男の子が生まれたのだから、もう雅子さまも解放されるだろう。早くよくなられてまた、能力を生かしてお勤めを果たしてくだされば…」と思って無理やり自分で自分を納得させていました。

でも、東宮家の苦難は去るどころかますますひどくなっていったのです。ここからは他の会員の皆様もよく状況をご存知のことと思います。

なぜかその後激化した東宮家、特に雅子さまへのマスコミおよびネットによるすさまじいバッシング。心の病の方を叩きのめす非常さ、その妻を労わっているというだけで、完璧にお勤めをこなしているにもかかわらず「廃太子」などと理不尽な罵詈雑言を浴びせられた皇太子殿下。いじめの被害者なのにまるで愛子さまご自身が悪かったかのような報道。

「お二人は離婚なさるのでは」という非礼極まりない報道もありました。私自身も「これではお二人の心が折れるのでは…」と案じたものです。

でも、皇太子ご夫妻は決して負けることがなかった。でたらめをネットで言われてもじっと辛抱なさった。
そして愛子さまをしっかり愛情を持ってお育てになられた。おかげで愛子さまは文武両道の、しかも感受性豊かなお子様にご成長なさった。

私はお若い頃の雅子さまもとてもお美しいと思いますが、今の、苦しみを乗り越えて穏やかな笑みを身に付けられた雅子さまも本当に素敵だと思います。
雅子さまという人は、自分がもう皇室で何もできない、と思われたなら潔く去られるおかただと思います。
でも、今もとどまっていて下さっている。
東宮ご一家はこの苦しみも糧になさりつつある。

そう最近はしみじみ思えるので、私はますます東宮ご一家を応援せずにはいられなくなるのです。
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Unknown (ななお)
2017-07-13 11:53:26
今より情報は少なかったけれど、親が見ていた週刊誌や「皇室アルバム」で、皇室のおおよその構成は知っていたし、誰が好き誰が嫌いではなく、皇族の方々に対しては満遍なく好印象だったと思います。
入江さんや浜尾さんなどの語り部のような侍従さんがいらしたこともよかった。昭和天皇、香淳皇后のお人柄も各宮家、お子様、お孫さまを分け隔てなくお見守りしている感じで、皇室全般にほのぼのとしたものを感じていました。でも内廷と宮家との区別、序列ははきちんとされていたし、宮家の方々も弁えて行動されてたし、それを報道する側も周知している状況だったと、今改めて思います。

平成になってもそんな昭和の雰囲気がそのまま続くものと思っていたのが、喪中での次男坊殿下の婚約から徐々に乱れて、おかしな悪平等が蔓延るようになったと。雅子さまご入内、敬宮さまご誕生で、もっと華やかに、もっと明るい報道がなされると思っていたら、特に紙媒体がお二方を貶めるようなことを書き、心を痛めていました。それでもいつか両陛下がそれを窘めるのではと期待していたのが、オランダ静養での会見での発言などをはじめとする諸々の発信に、これは両陛下先導の事態なのだと確信しました。悲しかったです。昭和天皇では考えられないと思いました。しかしながら、どんな状況でも折々に敬宮さまのお姿を拝見することにより、その年齢相応、いやむしろそれ以上に心身ともにご成長されて、運動会、遠足などの報道にまるで親戚の子を見ているような嬉しさを感じさせてもらってます(笑)
笑わないだの、挨拶しないだの、きちんとされているのに、報道しない悪意を感じますが、赤ちゃんのときの可愛らしさ、車寄せで皇太子さまを涙でお見送りされてるシーン、ニンゲンちゃんを愛でる様子、などの映像からは敬宮さまの愛くるしさ、優しさ、賢さを感じています。
才色兼備。文武両道。ヒロシマの作文にも感動したし、このお姫さまを全力でお守りしたいと思うのです。
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