第二次世界大戦中ナチス・ドイツがヨーロッパ全域に約1000ヵ所建設したと言われる強制収容所の一つ、
アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で
いったい何が行われていたのか。
アウシュヴィッツ強制収容所は、
ドイツ軍がポーランドを占領した後、
シレジヤ地方の小さな町オシヴィエンチムにあったポーランド軍砲兵隊の兵営と
ポーランド・タバコ専売公社の建物を改造して、
戦時捕虜収容所あるいはポーランド人用の
拘禁収容所として造られたものでした。
しかし戦争の進行にともなって、
収容所も軍事態勢に役立てられるべきだという事から、
全抑留者は各種軍事生産の為の
軍需用労働者として位置づけられ、
やがてユダヤ人一掃計画が立てられてからは、
人間の大量虐殺用工場へと変わっていったのです。
ここで虐殺されたユダヤ人の数は250万人とされています。
もちろんユダヤ人だけではなく
ポーランドの一般市民やソ連軍の捕虜、
ジプシーなど24ヵ国の市民も含まれています。
その数は約400万人とされています。
ナチス・ドイツによるヨーロッパにおける最大の虐殺施設が、
アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所だったのです。
historical pavilion より抜粋。