読まずに指す、ということを言っていた。
晩年の大山名人と対戦したときに、
ほとんど読んでいないと感じた、というのだ。
それでもちゃんと正しいところに指が行く。
そういう境地に憧れる、と。
そこにはまた、年とともに衰える、
速く確実に読む能力、
を補うためにどうするか?
という意味もあるようだ。
なるほど、と思っていたのだが、
ちょっと考えると、どうなのだろう??
大山名人の頃と現在とでは、
将棋の質は著しく変わっているのではないかと思う。
作戦は多様化し、緻密になり、
終盤付近まで定石が整備されていたりする。
逆に言えば、難解な場面が
多岐に亘って現れる、ということだ。
最近でも、王座戦の将棋など、
いったいどこが敗因、勝因だったのか、
プロでもすぐにはわからない、
という状態のようだ。
将棋のゲームとしての複雑さが
大幅に向上してしまった現在、
直感で指すということの難しさもまた、
大幅に向上しているのではないか、
という気がするのだ。
人間の直感は素晴らしいものだが、
それは長年の間、かなり狭い領域を極めてはじめて
身につくものではないのだろうか?
職人技の感覚は、どれも、
対象がある意味でかなり狭いからこそ
成り立つような気がする。
そうだとすると、現代の将棋のように、
複雑怪奇なシステムに対して、
直感を磨くことができるものなのか?
羽生名人が挑戦しているのは、
もしかしたら、大変に困難な課題
なのかもしれない。
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