"大臣"と呼ばれるヒトが
自らの"発言の責任"を取るっちゅうコトで
職を辞するっちゅう手段を選んだり
それを求めたりするちゅうコトは
最近、少ないコトは無い。
先日、就任したばっかりの国土交通大臣が
辞職したっちゅうハナシは記憶に新しい。
せやケドも、職を辞したコトが
ホンマに"責任"を取る手段として適切なんやろうか?
毎回、こんなコトを考える。
職を辞して、重い役職から解かれたコトで
それで一区切りつけて、"反省"っちゅう作業を
置き去りにされるコトっちゅうのは
少なくは無いんやろうかなぁと考えてまう。
ワシも、こういう場で"想い"っちゅうモンを
表現する手段として"コトバ"を用いるケドも
あんじょう伝わって無いっちゅうコトも少なくは無い。
ワシの知らんトコでヒトに憤りを感じさせたりしてるかも知れん。
伝えるべきコトが伝わらん時や
"コトバ"を軽視して、ついつい用い方を間違えて
ヒトを傷つけてしもたっちゅうコトが判明った時なんか
何とも言えん憤りを自分自身に感じたりする。
事実正直なハナシ、コトバを発したく無くなる時や
コトバを発するコトに怖さを感じたりするコトもある。
せやケドも、こういった手段を容易にとるコトが
出来んヒトっちゅうのも世の中には居る。
比較的容易にコトバを用いるコトが出来るワシらは
精一杯有り難みを感じて、コトバを噛み締め乍ら
産み出すコトをせんとならんのやないかなぁとふと思た。
何気なく聴いてる"唄"っちゅうモンでも
淡々とメロディに載せてるモンもあれば
抑揚を上手い具合に着け乍ら
ひとつひとつのコトバに重みを持たせて
"伝える"っちゅうコトを重きに置いたモンがあったりする。
今し方、"SONGS"っちゅう番組で"美輪明宏"さんが
代表作である、"ヨイトマケの唄"っちゅうのを歌ってた。
ぢつは、彼の持ち唄であり乍ら、他のミュージシャンが
ガヴァーをしたモノしか聴いたコトが無かって
初めて彼の歌ってるのを聴いたケドもガツンと来た。
なんで、こんなコトを書き綴ってるかっちゅうたら
ぢつは、"失敗"をやらかしてしもた。
ココでのハナシでは無いにしろ、更新を休もうかなぁとも思った。
せやケドも、一日中考えてるウチに逆の考えに至った。
いろんなキモチを引き摺った状態で聴いた
美輪明宏さんの"ヨイトマケの唄"
ホンマに泪を流しそうになった。
コトバを使い間違うコト。
こういうコトをやってる以上、例えそれがハタから見て
軽微なモンやったとしても…
"それ位のコト"
っちゅう風に済ますコトは出来ん。
一旦発したコトバは、受けたヒトの判断に委ねられる。
せやケドも、日々生活をしてる上でコトバを発するコトを
止めるっちゅうコトは容易に出来るコトや無い。
逃げんとコトバを発し続けるコトで精進して行ければなぁと思います。
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