Born Free

変わりモンで悪かったなぁ!


 ワシは"意固地"っちゅう風にようヒトには言われる。

そない言われて普段は笑ってるケドも
言われて嬉しいかっちゅうたら冗談やない。
言うたヒトによっては、締め堕としたいと思うコトもある。

ワシはようヒトから…

"変わりモン"
"偏屈モン"

っちゅう風に表現される。

せやけども、"変"っちゅう風に思う基準って
どこから出て来て、誰が決めるんやろうかなぁ?
なんでもかんでも右に習えっちゅう方がええのかなぁ?

ただ、単に我がのキモチに実直になるコトが
そんなにおかしいコトなんかなぁ?

我がの"考え"っちゅうモンをハナシをする時に…

「いや、それは違う!」

っちゅう風に"否定"から入るヒトが居る。

そういう人間に対しては、必ずっちゅうてええ程
真っ向から、屁理屈で応戦して
少々得心しても、アタマを押さえられ付けても
クビを立てには振らん。
まぁ、その変が"意固地"と言われる所以なんやろうがねぇ。

「ヒトの考えを真っ向から否定する人間の言うコトは聞けん!」

っちゅうのがワシの考えである。
総て、そいつの言うコトが正しいのか?
っちゅうコトになる。

あまりにも"意固地"とかなんやかんやっちゅう風に
言われてしまうさかいに、ワシかて悩むコトもある。

その度にいろんなコトを試したり
ちょこっと考え方を変えたりしたコトもある。
せやけども、その度に…

「それはちゃうんやないかなぁ?」

そない言われたりする。

ほな、ワシはどないしたらええのか。

我がを貫き通しても"否定"。
ヒトの考えを参考にして、新たな一面を見せても"否定"。

どうあがいても、コトを起こしても
誰も彼もみなが"否定"したり"
変わりモン"のレッテルを貼ったりする。

なかなかヒトに"ひとつの考え"として受け止めてくれんさかいに
結局は我がを責めるっちゅうコトがワシにとって
我がを宥める唯一の手段になった。
そのうち、我がで我がを"否定"するコトが
当り前になってもた。

ワシが"世間一般"に言う"素直"な生き方が出来れば
よかったんやろうが、いっぺん脱線した暴走列車は
元のレールにのっかるコトは難しい。

ワシは我がが大嫌いである。

「自分を好きにならなきゃ!」

そない言うてくれるヒトも居るケドも
ワシにとっては虚しいかな、"美辞麗句"である。

"否定"されんからって、別に"尊重"や"賞賛"を
勝ち得たいっちゅうワケや無い。
せめて"ひとつの考え"として受け止めてくれれば
それだけでかなり癒される。

ヒトとちゃうコトを思ったりするコトが
"変わってる"っちゅうコトやったら…
"世間一般"っちゅう基準に沿ったヒトばっかりやったら…

この世の中に"個性"っちゅうコトバは要らんやろうなぁ。



 みんなちがって みんないい

               金子みすず


*若干、コトバを使い間違ってる気がしたんで
              一部分に修正を加えました。

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