衆生本来仏なり、と白隠禅師は言っています。そうだったのでした。そして魂は不滅だったのです。本来無であり、私たちは過去からの罪を謝って払拭するためにこの世に生まれていたのでした。こうしたことに気付いて日々、生活していると、いつか明らかとなります。仏陀がそうでした。あらゆる難行苦行の後、近くの少女から貰った粥をすすり、悟るまで諦めないと意を決して菩提樹の下で静かに坐禅します。そして、七日目の朝、金星が殊の外輝いたのでした。そして仏陀は言いました。あれは、私だ、と。そうだったのです。そこが浄土だったのでした。善かったですね。これを以て善良な庶民の時代となりました。腐敗した権力による支配ではなかったのでした。ソドムの市もありました。ベスビオ火山の噴火もありました。巨大な隕石が地球に激突して地軸が反転し、氷河期となって、肉食恐竜の時代が終わりました。気付く頃です。現在の異常気象は人類に対する警鐘です。気付いて、反省すればいいのです。私たちは人類として、試されているのでした。やがて地球は穏やかさを取り戻すのです。地位でも名誉でもお金でもありませんでした。それらでは、獲得できないのです。本当に賢いということは、身心清浄を以て実践し、こうした理論に気づくことだったのでした。いよいよ、これからです。人類として掬われることが決定しました。善かったですね。しかし、なかなか信じられないのです。だから、信を以て入ることを得たり、とされています。大自然からの証明を経験して初めて信じることができるのでした。それまでは、ダメだったのです。それで、衆生自ら出づること能わず、と言うのです。唯、善業の因縁より出でたり、とするのでした。それはこういうことだったのです。これもコロンブスの卵です。
かつてカミュが不条理を描いて『異邦人』という小説にし、ノーベル文学賞を受賞しました。どうしてそのような悲劇の人生となるのか、一般的に理解不能でした。その謎を解いていたのが仏法の過去からの因縁ということだったのでした。本来無一物ですが、色々とあるのは、過去に自分が種を蒔いていたのでした。つまり、悪を実行していたのです。それは種ですから、再び芽を出し、花と咲き、結実します。つまり、理不尽な結果を見ることになるのです。しかし、過去に自分がそれをしていたのでした。それが帰って来ているだけなのでした。そして大切だったのは、その種を二度と蒔かないことだったのです。それができるのは、それを過去に行為した本人しかいなかったのです。これが仏法の因縁ということの意味だったのです。このメカニズムがわからないのでした。それで、何かあると人を悪く思うのです。これがまた、新たな因縁となるのでした。ここに気付くと、何があっても自分だったんだ、と思えるようになります。だんだんと、人を悪く思わなくなります。これが仏道を歩むということでした。やがて仏と邂逅します。いよいよ、明らかとなりました。これからです。時代はそのように進んでいたのでした。そして、魂は不滅でした。気付いて始まるのです。こうした生き方ができるようになることが、幸せだったのでした。困ることは一切、現象とならなくなっているからです。
新しいビジョンは何だったでしょうね。フランス革命の頃、市民が台頭しました。その後、市民が支配していたのでした。その支配はどのようになっていたのだったでしょうか。最近になって明らかとなったのはコロナウィルスによる支配でした。その後、どうなっているのでしょうね。彼らは何を考えているのだったでしょうね。自分たち以外のDNAを殲滅することだったでしょうか。そんな馬鹿なことがありますか。私たちは幸せになるために生まれています。いよいよ、新しい時代が始まっています。それはどういうことでしょうね。善良な庶民が勝利する、ということです。殺戮による支配は、過去の遺物です。ウィルスによる人類殲滅も、もはや見抜かれて、成功することはありません。何を勘違いしていたのでしょうね。真実は那辺にあるのだったでしょうね。見つけて始まります。見えない世界が守護します。だから、大丈夫なのでした。その確信を得るには、修行を要します。それまでは永遠に知り得ないのでした。すなわち、確信に至れません。
みんな、本当に何か大切なことを見失っていたのでした。特に、テレビ界及びお笑いがそうでした。彼らは本来の人間としての文化を破壊していたのでした。今となっては、新聞もそうでした。どうしてそのようなことになるのだったでしょうね。敗戦もその要因の一つでした。そろそろ気づくのです。思い出すのです。本来日本がどのような国であったのか。気づいて始まります。戦争は無価値でした。太平洋戦争を以て証明されています。それ以前にペリー来航がありました。
身心清浄、絶後に蘇ります。いつか、だれもが至るのでした。それが仏の大慈悲だったのです。悪魔をも掬います。信を以て入ることを得たり、とするのでした。しかし、なかなか信じられないのです。それで、あらゆる修行があるのでした。真実はどういうことだったでしょうね。至り得て、わかります。それまでは、永遠にわかりません。真実はあるのだったでしょうか。それはある、と断言し置きます。
あれこれ思い悩むこともないのでした。今、世界はどのようになっていたのだったでしょうね。かつて日本に、戦国時代がありました。群雄が処方に割拠して、戦争ばかりしていました。その後、江戸時代となって全国が統一され、とりあえず、戦のない時代がありました。その間、西洋列強およびロシアは何度か日本を脅かすのでした。しかし日本には、武士が100万人いたでしょうか。地上戦ではとても勝負にならないのでした。その後、幕末となって、浦賀にペリーが来航します。蒸気船に大砲を構えた軍艦でした。これには、どうしようもなかったのでした。そして、明治維新となりました。その後、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦と続きます。戦争ばかりしていたのでした。そして太平洋戦争となって玉砕します。無条件降伏して終わりました。さもないと、日本は原爆が次々と投下され、ソ連も南下していたことでしょう。その間の事情も色々と明らかとなっています。そして思うのです。そろそろ、戦争の無価値を学ぶ頃だろう、と。何のために戦争をしているのでしょうね。武器商人が儲けるだけですね。彼らは昔から、当事者双方に武器を提供してきました。どちらが勝ってもいいのでした。そして、ずっと勉学していると、いつか仏法に至ります。その教えに、十界があります。六道輪廻です。その中で戦争をするのは、阿修羅でした。同じ人間の姿です。私たち人間は、人間として生まれて、六道輪廻を学ぶのでした。しかし、それは左回りだったのです。人間の段階で、右回りの六道輪廻に移行することができるのでした。そして、阿修羅を脱することができるのです。これが衆生自ら出づること能わず、唯、善業の因縁より出でたり、とするメカニズムだったのです。やがて、大自然がやさしくて美しい景色を以て証明します。いつか誰もが見つけます。私たち生命体の本体は魂でした。そして何度も生まれて、永遠の旅をしていたのです。いつか辿り着くのです。
最近、芸能界の醜聞がインターネットで暴露されている。高倉健も吉永小百合もその例外ではなかった。どうやら、そういうことであったのだった。芸能界とは、そういうところであったのだった。スポーツ界もそうなっているようである。お金を儲けると、そうなるのだろうか。中には、清廉潔白もあると信ずる。さて、思うに、そうしたモラルに反する事実は何を意味しているのだったろうか。ソドムの市があった。ベスビオス火山の噴火があった。今では、ギリシアがたいへんなことになっているらしい。日本に於いても、都会では、夜な夜な、そういうことであるらしい。高度経済成長の頃には、みんな朝まで騒いでいた。ところで、日本は第二次世界大戦末期には特攻隊が出撃した。戦艦大和も特攻だった。その姿に、アメリカは驚いた。それが本来日本の大和魂だった。それで戦後、そうした痕跡を一切潰したのだった。だけど、日本人の血にはその精神が流れている。さて今、世界はどういうことになっているのだったろうか。再び、世界大戦に向かっているのだろうか。そのメカニズムは那辺にあるのだろうね。それは、武器商人という阿修羅の世界であることが判明した。阿修羅は人間の姿をしているが、戦いばかりするのだった。西洋に於いては悪魔だった。同じ人間の姿であるが、色々ある。仏も人間の姿をしている。気づく頃である。もはや戦争は無価値だった。山本五十六がそれを証明してしまったのだった。大丈夫である。人間の本体は、魂だった。魂が修行しているのである。二度と戦争をしない、と原爆ドームは誓っている。嘘が駄目だった。政治はそろそろ、気づく頃である。
ゴータマ・シッダールタは釈迦族の王子で、子供の頃から何不自由なく、王宮の中で育てられた。やがて王妃を迎えて結婚し、子供もできた。その後、彼は城を抜け出して、市井を見聞するのだった。そこで見たのは、生老病死だった。これが四苦八苦の四苦だった。それまで彼はそうした世間の実態を知らないままにいたのだった。そこより苦悩の人生が始まるのだった。彼は王宮を抜け出して修行の旅に出た。彼らを救うことはできないのだろうか。それがテーマだった。あらゆる難行苦行を行ったが、ついに悟りを得られなかった。それで意を決して、近くの清水で身を清め、娘から貰った乳粥をすすって、菩提樹の下に坐った。悟りを得るまで諦めない覚悟だった。そして七日目の朝、明けの明星がひときわ輝いた瞬間、ゴータマは悟ってしまったのだった。あれが、自分だ、と。それから彼の見つけた真実を伝える旅が始まったのだった。
思えば少年の頃、ある意味で凄かった。何をしても、全てに於いてダントツのトップだった。しかしその後、埋没するのだった。理由は、家庭環境にあった。それで、とても孤独で悲しい青春があった。その間のことは、割愛する。どうしてそういうことになっていたのだったのか、やっと自分なりの結論を得ている。そして、その後、どうなるのだったろうか。就職してもすぐに辞めざるを得なかった。大学も行ったが、勉学できる状態ではなかった。そしていつか、膨大な読書をするのだった。やがて仏法書を読んでいた。その頃、ある人に出会った。その人はある仏所で修行していた。誘われるままに入門した。仏法に関する議論となって、こちらは読書に基づいて色々と言うのであるが、それは違うと一蹴されて、反論できなかった。後でわかるのだが、その人は真実の仏を知っていたのだった。やがてそこで、12年修行した。かなり、中枢に入っていた。不思議な自然現象を数多経験した。それは、信じさせんがためだった。真実とは何だったろうか。個人的に、21世紀真実幸福論も集大成している。此処に来て、その真実が明らかとなる時節を迎えているのだった。身心清浄、絶後に蘇る、というのがそれだった。どのようにして至るのだったろうか。垣間見た真実とは、どのようなことだったろうか。大自然の証明だった。俄に信じることのできない不思議な現象だった。それは、有るのだった。信を以て入ることを得、とするものである。どのようにして至ることができるのだったろうか。そこが仏法の神髄だった。どんなに苦行を積んでも至れないのだった。だから法華経は安楽行を説いていたのだった。法華経はインド南部の港湾都市で発祥している。それで他の仏典とは異なる。物語形式だった。何度読んでもわからない。修行する必要がそこにあるのだった。仏の言うように修行すれば、不思議な証明があるのだった。そして真実を垣間見るのだった。時が来ている。急がされている。過去からの悪を払拭して至ることができる。その方法も説かれている。知らないことを以て信じることができない。だからある夜、神からの啓示を受けて大数学者から大神秘家に転じたパスカルは日々、『パンセ』を綴っていた。テーマは、どのように説けば人々は神を信じるに至るだろうか、だった。仏法には生け贄がない。剣もない。悪魔をも掬うとする。それで、悪魔は仏には従う。何が真実だったろうか。それを探す旅があるのだった。禅も在家禅となっている。一切大衆が掬われるのである。政治と経済があまりにもそうしたことを知らない。テレビ及びお笑いは以ての外である。彼らのしていることは地獄への一本道である。これより、こうしたことが明らかとなる。日本はこの真実を伝えていたのだった。因って、大丈夫である。真実とは、こういうことだったのだった。誰もが気づく時となった。大宇宙が守護する。パスカルは、「人間は考える葦である」とした。そしてすぐに、それに続いて、「葦を通して宇宙を見る」としていたのだった。既に、宇宙が語られていた。気づくべきは、こうしたことだったのである。支配のための戦争でも殺戮でもなかった。気づいて新しい時代が始まる。終わりは終わりではなく、即、始まりであるのだった。この論理も、ある仏所で教えてもらった。自分だけが掬われても、本当の幸せはない。自分の周りの人々が掬われて、その中の自分も掬われている。これは、私が見つけた表現である。それが、自未得先度他だった。即ち、菩薩道である。これが本来日本の仏道であるのだった。やがて世界が気づく。失われていた大切なことがある。本来日本、見事に蘇る。勝敗は決した。
この世はそのまま、地獄であり、天国だったのでした。要は、自分次第だったのです。この世に生まれて、どう生きるかだったのでした。過去よりどうしても罪を重ねています。それを払拭して生まれ変わることができるのだったでしょうか。それが、仏法の目的でした。それでも尚、屋上屋、悪を重ねて生きるのでした。それを哀れと思われたのが仏です。掬われる道は那辺にあるのだったでしょうか。それを求めてかつて、西域への旅がありました。やがていつか真実が開示されるのです。難行苦行ではありませんでした。安楽行があるのです。法華経が説いていたのはそれでした。日蓮が法華経ではありません。聖徳太子が既に『法華義疏』を書いていました。これはとても自由な解釈でした。要点は、過去からの罪を大宇宙に対して懺悔することだったのでした。そしてその因縁を断ち切るのです。自分が犯した罪は業となって再び現れます。それを摘み取ることができるのはその種を蒔いた本人だったのです。こうしたメカニズムを明らかにしていたのが大乗仏法だったのです。それは今、日本にあります。日本にしかありません。そしてそれも今では、例えば在家禅となっています。それほど時代が急がされているからです。あらゆる修行の目的は身心清浄となることでした。そのために正直であることが大切だったのです。しかし、嘘が当然であるかのような世相です。専制君主制度は断頭台の露となって克服されています。それは市井に、啓蒙化された市民が溢れていたから成功したのでした。今はどうでしょうね。テレビとお笑いで、気づけなくされているのでした。そして支配されていたのです。目覚めるべき時節です。明るい未来が幸福追求権として、現代憲法理念で抵抗権と共に保障されています。学ぶべきはこうした学問でした。幸せになるためには、馬鹿になることではなかったのです。それが、支配のための最大のプロパガンダであったことが明らかとなりました。そして、新しい時代が始まっています。大丈夫です。ユトリロは青の時代から白の時代へと変遷しました。苦悩の英雄ベートーヴェンはいつか、悲しみの旋律が消え、喜びの歌となりました。人類はその方へ進化しているのです。大河のごとく滔々と。