本来は無一物だった。無であり、空だった。そうであるのに色々とあるのは、原因があるからだった。その原因は過去に自分が種を蒔いていた。即ち、過去の行為が因縁となって、世代を超えて現象するのだった。そうであるなら、惡の華は刈り取って、二度とその種を蒔かないのだった。それができるのは、その種を蒔いた本人だった。そうであるのに、いつまでも、この世に生まれて、屋上屋、惡を重ねるのだった。戦争など、以ての外だった。これが仏法の教えの本質である。他の宗教は、殺戮がある。これが問題だったのだった。新しい時代が始まろうとしている。此処より始むる。因縁の開結はどのようにしてするのだったろうか。或る仏所では、方法を教えて貰って、謝ることを以てするのだった。そうすると過去からの己の惡が一つ一つ消えていく。そしてすべて消えた時、それが成仏だった。そして大切なことは、惡を消すと同時に、善を行うのだった。善業ということがある。それは、仏さんのことをすることだったのだった。このようにして魂の救済がある。新しい時代の黎明となった。それは物質ではなかった。お金ではなかった。地位でも名誉でもない。諸価値とは、さふいふことだった。見えない世界でのことだった。西洋思想は、これを知らないのだった。明治維新以降、日本は西洋の論理で戦争をしていた。それが駄目だった理由が明らかとなった。殺戮では何も解決しない。新たな殺戮が続くだけだった。今、パラダイムの大転換である。