時代は大きく変遷しつつあります。あたかも市民革命の頃、それまでの専制君主制から移行したことに匹敵するのでしょうか。風の時代に入って、これまでの物質的な価値観が陳腐化し、新しい価値観が生まれつつあります。要は、欺罔及び暴力としての武力による支配が終わろうとしているかのようです。禅に於いては、只管打坐、身心清浄となって絶後に蘇るとします。大切だったのは、過去からの悪の因縁を断ち切ることでした。それを実行して、仏は仏と成ります。そして自分だけ掬われても意味がないことに気づくのです。それで修行する菩薩は自分よりも先に他者を彼岸に渡そうとします。それが、大乗仏教だったのでした。この教えが今、日本にあります。いよいよ、始まっているのです。本来日本の命脈は此処にあったのでした。世界が人類として本当に幸せになる階梯が動き始めています。やがて、政治も気づくことになります。嘘による利己的支配は必ず失敗します。酒池肉林の社会経済文化は必ず自然災害によって鉄槌が下ります。歴史が証明しているところです。人類として、気づく頃なのです。此処に気づいて、新しい時代が始まるのです。勉学するべきはそれでした。人生は過去からの悪を払拭して、屋上屋、新たな悪を積み重ねないことでした。そして何時か、大自然が受容し、祝福します。それがこの世に生まれて探すべき最終最後最大の醍醐味としての答えだったのでした。
何があっても大丈夫、と思えるようになると、『不思議の国のアリス』のようになるのでした。それは有るのです。あらゆる修行の目的はそれでした。要件は偏に、一切の過去からの罪を払拭することでした。それは空中にいつまでも因縁として浮遊していたのです。悪の種となって再び芽を吹きます。それを刈り取るのは自分でした。俄かに信じることはできません。それで、パスカルは『パンセ』を書き綴りました。しかし、時が来ています。地球が宇宙間に於いて磁気嵐の中を通過中であり、太陽のコロナ活動が激しくなって変動期に入っています。いつまでも旧態依然として欺罔を以て第一とする孫氏の兵法ではありません。原爆でもありません。それらは克服されるべきものでした。かつての市民革命のように。市民革命の頃、市井に啓蒙化された市民がたくさんいました。それで成功したのでした。今はどうでしょうね。お笑いを使ってバカになることが幸せであるとプロパガンダしています。それも、見抜かれる頃となりました。本当の幸せ世界が開闢されようとしています。一切大衆が掬われるのです。その時、その中にいる自分も必ず幸せです。これが菩薩道でした。即ち、自未得先度他だったのです。自分だけがお金持ちになっても意味はなかったのです。それに気づいていたのが仏法でした。故に道元の教えは貧学道であり、只管打坐でした。そして真実を垣間見るのです。いよいよ新しい時代が始まるのです。本来日本の面目躍如です。これが日本だったのです。
それぞれ解かねばならない謎がある。それを解くまでは次が始まらないのだった。そして最終最後最大の謎は何だったのだったろうか。過去からの因縁だった。それは過去に自分がしたことが原因だった。それが種となっていたのだった。本来無一物と言われている。本来、何もないのだった。しかし色々とあるのは何故だったろうか。自分が種を蒔いていた。蒔いた本人がその結果を刈り取ることになる。そうであるなら、どう生きるべきだったろうか。悪の華が咲いているのであれば、それを刈り取り、二度とその種を蒔かないのだった。そして善の花が咲く種を蒔くのだった。あらゆる行為が因縁となる。すべて善因縁となればいい。それが仏法だった。思いがあって行動となる。その思いには色々とある。思い浮かぶそれを払っていく。それが、坐禅の目的だった。只管打坐。そしていつか、すべて開いて結ぶ。そしてあらゆる過去からの悪因縁を払い、善のみとなる。そして仏となるのだった。その道が仏道だったのである。戦争など以ての外とするところである。馬鹿になることが幸せではない。それはテレビ界支配のためにするプロパガンダだった。究極の幸せとは何だったろうか。多くの幸福論があった。憲法で幸福追求権も保障されている。幸福とはあらゆる悩みが晴れて、明明白となることだったのである。勉学したことだった。修業もしたことだった。苦しい孤独な人生を歩んだことだった。それも通らねばならなかった。そしていつか見つける。21世紀真実幸福論。
かつて日本は、著名な評論家が多数、活躍していました。小林秀雄もそうでした。彼は戦中、評論活動をするにつけて、古典にテーマを絞りました。そうしないと、軍部からターゲットにされる恐れがあったからでした。ところで、彼を頼って山口から、中原中也が上京しました。しかし、小林は中也の妻を寝取ったのでした。その事実を知って、それまで愛読していた小林の全集を処分したことでした。また、評論家として日本文壇で大きな仕事をしたのが、江藤淳でした。戦後日本文壇には、長谷川四郎、石原吉郎もいました。どちらもシベリア抑留体験者でした。また、全学連の余波として活動し、その後、東大教授となり、評論家をしていた西部邁がいました。江藤淳も凄まじいほどの評論活動がありました。ここで、江藤淳と西部邁について、どちらも凄まじいほどの評論活動をしていたのですが、ある共通のことを契機として、執筆活動を終えるのでした。それは何だったでしょうか。妻の逝去でした。いずれにしても、こうした方々の活動を前にすると、テレビ界及びお笑い並びにマスコミの出鱈目が明らかです。彼らは戦後日本精神骨抜き占領政策の権化あるいは傀儡だったのでした。そろそろ、日本は思い出すころとなりました。大丈夫です。日本は日本です。明治以降、世界史に飲み込まれての幾多の戦争は、本来日本の戦ではありませんでした。インディアン及びインカ帝国を滅ぼし、奪った金を以て世界を支配し、インド及び東南アジアを植民地としていたことがありました。今、反省するべきはそれだったのです。二度と戦争をしない、と原爆ドームの前で誓っています。その意味は此処にあったのでした。もう、戦争しなくていいのです。人類は進化しました。これより明らかとなります。
身心清浄、絶後に蘇ります。これがなかなか難しいのでした。そのために、あらゆる修業があるのでした。この世で達成できる人もいます。近い来世で実現する人もいます。それぞれの過去からの罪の重さが違うからです。これって、至ってみなければわからないのでした。しかし誰もがいつか必ず至ります。中途半端では駄目だったのです。100パーセント、すべての悪を払拭するのでした。それが明けの明星の輝きを見るということだったのです。そして、何があっても大丈夫ということになるのでした。修行のしどころです。私たちは何度も何度も生まれています。そしていつかここに気付くのです。それでも屋上屋悪を重ねている人がいます。これを以て悲哀とするのでした。地獄からやり直しです。あらゆる悩みが晴れることが空ということでした。笑顔が幸せの形だったのです。これが日本の神髄です。