ノストラダムス予言(物質文明から精神文明へと)

日本に出現され、ご活躍されておられます、メシアによられる救いに授かり、破局を幸運へと転化することが出来ますように。

欧米におけるキリスト教社会の崩壊とノストラダムス予言によるメシア(改)

2018-01-12 | 日記
 ノストラダムス予言における「1999年7の月」の予言詩が当たらなかったのではなく、説かれた破局は『先に延ばされ』ていて、現在、その破局が差し迫っているであろうことにつきましては、下記アドレスのブログによっても説明させていただいています。

   https://blog.goo.ne.jp/yama-take-001

 それでは、今後、崩壊して行くであろうキリスト教社会におきましては、メシア(イエス・キリスト)は復活せず、キリスト教のメシアとは「別のもの」と予言されたメシアが、この日本において復活しているということをご説明させていただこうと思います。

  どんなに長く期待しても、ヨーロッパには二度と現われない
  それがアジアに現われる
  大いなるエルメスの系列から発して団結するその国
  東洋のすべての王を超えるだろう
          第10巻75番 五島氏の大予言ⅤP103

 この一行目には、「どんなに長く期待しても、ヨーロッパには二度と現われない」と書かれていますけれども、これにつきましては、多くのキリスト教徒が、イエス・キリストの再臨を「どんなに長く期待しても、ヨーロッパには二度と現われない」と読み取ることが出来るのではないでしょうか。
 そして、二行目には、「それがアジアに現れる」と予言されています。さらに、三行目におきましては、「大いなるエルメスの系列から発して団結するその国」と予言されています。では、この「エルメス」とは何でありましょうかと言いますと、この「エルメス」とは、『ギリシャ神話の高い知能と技術をもった、経済や工業関係の神様』ということでありますので、この「エルメスの系列から発して団結するその国」と言いますと、日本以外には考えられないのではないでしょうか。
 ですので、この詩は、アジアにおける日本にメシアが出現し、四行目に書かれていますように、やがては「東洋のすべての」国に教えをもたらすような偉大な国となるようです。
 この他にも、日本にメシアが出現するであろうことを補うかのような予言詩も存在しますので、紹介させていただきます。

  日の国の法と金星の法が競い合う
  予言のエスプリをわがものとしながら
  双方たがいに耳をかたむけないが
  大きなメシーの法は日の国によって保たれるだろう
       第5巻の53番 五島氏の大予言・日本編 P189

 この一行目における「日の国の法」とは、日本における神道を指しているようです。
 つぎにおけます「金星の法」とは、座禅による瞑想法にて悟を得る瞬間にともると言われる金星、これをとって「金星の法」と言い表しているようです。
 二行目におけます「エスプリ」とは、精神や知性、才気などを現すとのことです。
 三行目と四行目には、「双方(神道と仏教でしょうか)たがいに耳をかたむけないが」「大きなメシーの法は日の国によって保たれるだろう」と、ここではっきりと、偉大なメシアの法は日本によって保たれると記されています。
 ここにおきまして、メシアの教えではなく「大きなメシーの」「」ということですので、大きなメシアの法とは仏法の可能性が高いとも考えられないでしょうか。
 なお、この四行目につきましては、故五島氏によりますと、この予言詩が【大きなメシーの詩】であり【読めば幸運に向かうメシーの詩】であると解説されています。又、ノストラダムス自身は生前、「この詩(の原文)を見た人は、それだけでも恵まれるようになる。とくに四行目(の原文)を声に出して読めば、いっそう幸運に恵まれる。詩の真の意味を知れば、さらに輝く人生を送れる。なにしろこの詩は、わたしが精魂込めて書き、“大きなメシーの法”とつながっているんだからね」と友人に話したと解説されています。

  月の支配の20年間が過ぎ去る
  7000年、別のものがその王国を保っているだろう
  太陽がその時代に飽きるとき(その時代を放り出すとき)
  わが大予言もついに完結するのだ
           第1巻48番 五島勉氏の大予言・日本編

 この予言詩の一行目における「月の支配の二〇年間」とは何かと言いますと、これを、ソビエト連邦が崩壊してアメリカ(月とも表現される)の一国支配となってからの「二〇年間」と解きますと、1991年12月にソビエト連邦が崩壊しロシア共同体となっていますので、その20年後といいますと2011年12月ということになります。さらに、「過ぎ去る」と言えるようになるのは最近になってからではないでしょうか。
 この二行目における「7000年」とは、現在のキリスト教起源ではなく、現在の人類の初めからの起源のようです。
 さらに、次には「別のもの」が「王国を保っている」ということですので、これは、キリスト教のメシアとは「別のもの」が日本に出現して、東洋のすべての国を超えるようなメシアの法による偉大なる日本という王国を「保っているだろう」とも読み取ることが出来るのではないでしょうか。
 そして、三行目と四行目におきましては、「太陽」と例えられる日本が破局によって混乱した「その時代に飽き(放り出す)」てメシアの法に目を向けたとき、ノストラダムス予言の目的も「完結するのだ」と説けないでしょうか。
 ここで、ノストラダムスが予言を残された大きな目的が、キリスト教徒も含めた多くの人々を、日本に出現する大きなメシアの法へと導くことであり、人類を救うための偉大な予言であるとは思えないでしょうか。

 それでは、次において、ノストラダムスが反対勢力から予言を守るために、はっきりと表現することが出来なかったキリスト教社会の崩壊についての予言詩と、その他の注目される予言をご紹介させていただきます。

  大きな七の数がめぐり終わるとき
  虐殺が起こる
  それはかの大きな千年から、そんなに遠くたったときではない
  そのとき墓に入っていた者はそこから出てくるだろう
        第10巻74番 五島氏の大予言 P204

 この予言詩の一行目における「大きな七の数」とは、キリスト教起源でもある日曜日を主の日とした、日~土の七つの曜日ことであるようです。この七の数に「大きな」を付けることによってキリスト教を表現されたのではないでしょうか。
 次には、その、大きな七の数が「めぐり終わるとき」とありますので、これはまさしく、キリスト教自体の終焉を工夫して表現したものであるようです。
 三行目には、「かの大きな千年から」とありますけれども、これは、2000年のことを指しているのではないでしょうか。現在の2021年は、2000年から「そんなに遠くたったときではない」のではないでしょうか。
 次におけます四行目には、「墓に入っていた者はそこから出てくる」とは、キリスト教的表現で、最後の審判のときに、先に生きているものを審判し、その後、死者を審判するという聖書の内容から来ているとのことですので、ここにおきましても、予言を守るために聖書の記述を用いて、巧みにキリスト教自体の終焉と世界の破局を暗示しているようです。

 それでは、次には、ご存知の方も多いと思いますけれども、聖マラキ予言をご紹介させていただきます。
 聖マラキ予言につきましては、歴代の法王を、その特徴を掴んだニックネームを付けて表現し、それが的中していることで評判となっています。
 歴代の法王の中において110番目となる法王がヨハネ・パウロ二世であり、その付けられたニックネームは「太陽の労働によって」となっています。この「太陽の労働」が示しますように、ヨハネ・パウロ二世は、歴代法王として初めて来日されていますし、日本における仏教の代表として阿含宗を法王庁に招き、キリスト教の歴史上かつて無かった他宗教との合同ミサ(合同法要)も執り行われていますので、これらの日本に対する働きが、「太陽の労働によって」と言った予言とされたのではないでしょうか。このときに出版された著書が「愛のために知恵を 知恵のために愛を」(ブッダの知恵とキリストの愛がひとつになるとき地球宗教の時代がはじまる)と銘打った力強い著書でありまして、私が日本におけるメシアの存在を知るきっかけとなった本でした。
 それから、111番目の法王でありますベネディクト16世につきましては、そのニックネームが「オリーブの栄光」となっています。これにつきましても、オリーブの枝をシンボルとするベネディクト会を創設した聖ベネディクトゥスに通じているとされています。
 そして最後の法王と言われている現在のフランシスコ法王につきましては、

「ローマ聖教会への極限の迫害の中で着座するだろう」
「ローマびとペトロ、彼は様々な苦難の中で羊たちを司牧するだろう。そして、7つの丘の町は崩壊し、恐るべき審判が人々に下る。終わり。」

 この2つの文が添えられています。
 1つ目の文中の「極限の迫害の中で着座するであろう」とは、ご存知の方も多いとは思いますけれども、「カトリック教会の性的虐待事件」として大きく報道されている中においての就任となっています。
 2つ目の文中の「ローマびとペトロ」につきましては、フランシスコ法王はアルゼンチンのイタリア系移民であり、家系はイタリアのローマ出身であります。また、法王の洗礼前の本名はGiovanni di Pietro di Bernardoneであり、ペトロが入っています。
 そして、「7つの丘の町は崩壊し、恐るべき審判が人々に下る。」とは、ローマの起源でもある七つの丘の町が崩壊するということですので、バチカンの崩壊、さらには、キリスト教自体の崩壊をも示しているように思えてなりません。
 最後に「終わり」と有りますけれども、これも法王庁の終わりでもあり、キリスト教自体の終焉をも指しているように思えてなりません。
 このような、ローマの町を崩壊させる存在として考えられますのは、法王へのテロを予告しているイスラム国による攻撃ではないでしょうか。このイスラム国が、今後に迎えるであろう破局の混乱に乗じて、大きく勢力を増して、テロ攻撃に走ることは可能と思われます。

 そして、次には、2000年5月に法王庁より公開されたファティマ第三の秘密をご紹介させていただきます。関連に注目していただきたく思います。

           『ファティマ 第三の秘密』教皇庁教理省 カトリック中央協議会より
・・・マリアの左側の少し高い所に、火の剣を左手に持った一人の天使を見ました。しかしその炎は、マリアが天使に向かって差し伸べておられた右手から発する輝かしい光に触れると消えるのでした。天使は、右手で地を指しながら大声で叫びました。「悔い改め、悔い改め、悔い改め」
それからわたしたちには、計り知れない光―それは神です―の中に、「何か鏡の前を人が通り過ぎるときにその鏡に映って見えるような感じで」白い衣をまとった一人の司教が見えました。それは教皇だという感じでした。 そのほかに幾人もの司教と司祭、修道士と修道女が、険しい山を登っていました。その頂上には、樹皮のついたコルクの木のような粗末な丸太の大十字架が立っていました。教皇は、そこに到着なさる前に、半ば廃墟と化した大きな町を、苦痛と悲しみにあえぎながら震える足取りでお通りになり、通りすがりに出会う使者の魂の為に祈っておられました。
それから教皇は山の頂上に到着し、大十字架のもとにひざまづいてひれ伏されたとき、一団の兵士達によって殺されました。彼らは教皇に向かって何発もの銃弾を発射し、矢を放ちました。 同様に、他の司教、司祭、修道士、修道女、さらにさまざまな地の天使がいて、おのおの手にした水晶の水入れに殉教者たちの血を集め、神に向かって歩んでくる霊魂にそれを注ぐのでした」

 この「第三の秘密(予言)」につきまして、当初、法王庁によって、ヨハネ・パウロ二世の暗殺未遂事件のことであるといった見解を表明していたようです。しかしながら、後日発表された文章をよく良く読んでみますと、それは、法王が兵士に追われ、山に避難したところで殺されるという場面でありますので、上記させていただきました、聖マラキ予言と同様に、イスラム国によるテロ攻撃を連想することが出来てしまいますし、さらに、ノストラダムス予言とも共通して、キリスト教の終焉を予言したものとも読み取ることが出来るのではないでしょうか。

 最後となりましたけれども、ノストラダムス予言につきましては、これまでのキリスト教社会を中心とした物質社会が崩壊し、さらに日本に出現しているメシア(仏陀釈尊)による新たな精神時代へと導くための予言であると確信しています。
 故五島氏によって解説されていますように、第1巻48番の予言詩につきましては、【読めば幸運に向かうメシーの詩】であるということです。同様に、幸運の「運」という字につきましては、仏教用語でありまして、仏陀釈尊より幸運を授かることが可能となるということでありますので、皆様におかれましても、幸運を授かることができますようにお祈り申し上げます。

コメントを投稿