高崎市群馬地区出身の詩人、山村暮鳥の詩碑があることにお気付きでしょうか
『月』 山村暮鳥
松にも
椎にも
ほのかな風の翳がある
しいんとして・・・・
月の匂いが
とめどなく
ながれる
群馬県内で一番最初に建てられた暮鳥の詩碑はマルシェ会場のお向かい、ソシアス駐車場の片隅にあります
もともとは旧群馬町立中央中学校(現ソシアス)敷地内南側に建てられましたが、中学校校舎移転工事に伴い現在地(敷地内北側)に移されたようです
隣にある建碑の記には
山村暮鳥が1884(明治17)年、群馬県西群馬郡棟高村(現高崎市棟高町)に生まれ、
1924(大正13)年に茨城県大洗町で40年の生涯を閉じるまで詩壇に影響を与えたこと、
そして暮鳥を敬慕する人々の浄財と、水戸の暮鳥会より送られた稲田御影石に暮鳥自筆の詩を刻し
暮鳥と芸術を慕う会と後世の人々に遺すために昭和33年12月に建碑されたとあります
中央中学校の足門校舎が昭和33年6月に落成したその年に建てられたようです
当時の中学生は、どんな思いでこの詩と建碑の記を見ていたのでしょうか
群馬県群馬町(高崎市群馬地区)と茨城県大洗町は暮鳥の縁によって40年以上にわたる文化友好交流をしており、
そのつながりでぐんま青空マルシェには大洗町からのキッチンバスや海産・農産物販売のテントが出ています
そして今や大洗といえば『ガルパン(ガールズ&パンツァー)』!
ガルパンのキャラクターグッズ販売が来たこともありました
キリスト教の伝道師として各地を転々とした山村暮鳥の詩は生涯の間に作風がどんどん変わっています
フランスの詩人ボードレールに心酔した時期、萩原朔太郎や室生犀星とともに活動した時期、
詩壇に変革をもたらそうと先鋭的な表現を用いた時期、キリスト教の神からの自立を模索した時期、
そして病に侵され自身の余命と向き合ってからの自然礼賛・人間愛を明るく簡潔に歌った晩年・・・
『おなじく (雲)』
おうい雲よ
ゆうゆうと
馬鹿にのんきさうぢやないか
どこまでゆくんだ
ずつと磐城平の方までゆくんか
・・・・・
亡くなる直前まで暮鳥が精魂込めて製作した詩集『雲』に収録されている詩には、上州弁が入っています
山村暮鳥の詩碑は県内外各地にありますが、高崎市群馬地区に限って言えばここのほかに
「風景 純銀もざいく」
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
かすかなるむぎぶえ
いちめんのなのはな
・・・・・
(保渡田町の県立土屋文明記念文学館敷地内詩碑)
『三人の処女 独唱』
かはたれの
そらの眺望の
わがこしかたの
さみしさよ。
そのそらの
わたり鳥、
世をひろびろと
いづこともなし。
(棟高町の堤下公園内詩碑)
ぜひ一度、暮鳥の詩に触れてみてください
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