雑多な記録

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怖い本

2016年03月23日 09時26分15秒 | Weblog

「憎悪の宗教」 ユダヤ・キリスト・イスラム教と「聖なる憎悪」 

定方晟 洋泉社 

何の憎む理由もない人々をできるだけ多く死なせることが自爆の目的。

犠牲となるであろう人の帰宅を待つ妻子の顔を思い浮かべることはないのだろうか。

敵を殺しても神が殺したことにするから安心して殺せ。

無信仰者の千人ぐらいは充分打ち負かせる。何しろまったく頭の鈍い者どもなのだから。

無辜の人間をイジメる快感にマサルものはない。自分に非があれば甘受できるが、

自分に非を見出すことのできない人間は絶望しかない。

難癖をつけて、人を苦しめるのが好きなのさ。

多神教とは見つけ次第殺してしまうがよい。

 

命乞いなどしても全く意味ないね。

命乞いをしている人を殺すほうがより楽しいらしい。

恐ろしい本を読んでしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 


富岡製糸場・碓氷峠

2015年10月30日 07時49分17秒 | Weblog

富岡製糸場

高校生の頃よくこの工場の横を通った。今の栄華が信じられない。

 

予定していた富岡の蕎麦屋さんは、1軒は廃業?2軒めは休業。

しかたがないので、妙義神社の道の駅に行き、やっと昼食にありつく。

 

碓氷峠・碓氷第三橋梁

 

 

小竹向原で打ち上げ


ソウル

2015年10月30日 07時31分52秒 | Weblog

ソウル

バスに乗ってソウルの中心街に到着

 

カルビ焼き肉を食べる

 

宗廟(チョンミョ)李朝の歴代王と王妃・功臣の位牌を祀った祀堂

 

小豆の汁が美味

 

映画村のセット

 

戦争博物館

 

屋台で食べたよ。

 

飛行機の中で、タブレットで日本の新聞を読む。


那須岳(茶臼岳)・朝日岳

2015年10月29日 21時55分41秒 | Weblog

2015年10月20日那須岳に登ってきました。

明日、那須岳に登るために前日に少しでも那須に近づこうと
宇都宮に宿を取りました。
東北道の浦和インターに達するまでに渋滞にはまり、やっと
15分ぐらい前に到着。
かみさんのお供も大変です。
宿は2人で5220円也。
これで朝食が付きますが、朝食は6時から。
うーん残念、5次出発の予定。
那須岳では紅葉が見られるかな。


2人で泊まっても5000円ちょっと。朝食はおにぎり程度かと思ったら、
普通のホテルのバイキング並み。
和食も洋食もOK、ジュースもコーヒーもおいしい。
ご飯もおいしい。
これはいいホテルを見つけました。

フロントにいるお兄ちゃんにしっかりお礼を言ったら、
最初怪訝な顔、にっこり笑って、またよろしく、だって。
かみさんはまだ食べてます。私は車で待機。


宇都宮のホテルから、那須岳ロープウエイ山麓の標高1400m駐車場に
約90分で到着。
途中の道は樹木の葉っぱ散って、冬景色ちょっと前の光景。
ボルケーノハイウエイは無料になっていた。

ロープウエイ山頂駅は標高1700m。那須岳山頂は1910m。約200m登る。
樹木は無く、風を遮るものはない。岩石丸出しの丸坊主の山である。

 


風がものすごく強い。耳が冷たいというより痛い。
スキー用のキャップを持ってくればよかったと悔やむ。
帽子は飛ばされるのでかぶれない。実際帽子を飛ばされている人がいた。

登山靴を履いて重たそうなリュックを背負った登山客にスニーカーを履いた
観光客が混ざり観光地でることを感じる。


那須岳から230mほど降りて、次の標高1900mの朝日岳に向かう。
旭岳に向かう登山道も吹きっさらし、風が強い。
樹木のない山道は展望が良い。
那須岳の北側斜面には噴煙が上がっているところがあり、びっくり仰天。
火山であることを認識。

まるでシルクロードの山岳地帯はこんな感じかな、と思われるよような登山道が
斜面にへばりつくように続いている。
ところどころ鎖がある。四つん這いになって登る。

やっと登った標高1900mの朝日岳は風が強くて弁当を食べる場所がない。
少し下がったところに風の少ない場所を見つけてお昼にする。
お湯を沸かしてカップラーメンも食べる。
寒くて至福の時間とはならず。

そこからロープウエイの山麓駅の標高1400mにある駐車場に向かって
那須岳と朝日岳の間にある登山道を降りる。
朝日岳の斜面に西日が当たってまるでグランドキャニオンみたいである。

山ではコンタクトレンズをしたカミさんの眼に砂が入り一時難儀したが無事に下山。
降りてからこの山は素晴しいと感じる。
日本にもこんな光景を楽しめる山があったのかと思いました。
おわり


三十石船

2013年01月29日 10時11分56秒 | Weblog
八軒屋から伏見へ渡す渡し舟は三十石と言いますから かなり大きい船でしょう。
これへ石松っつあんが乗り込んで 余計なお宝 払って、堂の間のところ 畳一丈ばかり 買いきって、親分にやぁ内緒ぅだが 途中で買ってきた 小さな酒樽、縁の欠けた湯のみぃ注いで飲む。大阪 本町橋の名物 押し寿司を脇ぃ置いて 酒を飲み 寿司を食べているうちに やがて船は河の半ばへと出る。乗り合い衆の話し、利口が馬鹿になって大きな声でしゃべる。つまり退屈しのぎ.。
これを黙って聞いていると面白い。お国自慢に名物自慢。仕舞いにゃあ豪傑の話が出る。
 野見宿禰(のみのすくね)と武蔵坊弁慶が相撲を取ったら どちらが強えか?
 ふん!つまらねえ話しをしてやがら、でも 面白いれえな、この話が酒の肴になるからな。

座禅

2008年06月19日 06時24分50秒 | Weblog
座禅は即ち大安楽の法門なり。もしこの意を得ば、自然に四大軽安、精神爽利、
正念分明、法味神をたすけ、寂然清楽、日用天真なり。
すでに能く発明せば、
謂つべし、竜の水を得るがごとく、虎の山によるに似たりと。

「匿名の悪意」との付き合い方

2008年04月06日 09時46分08秒 | Weblog
AERA 08、4.4
内田樹の市民講座より

 ホームページの時代からかれこれ7,8年、ネットで日記を綴っている。ちらちらと煙が立ったことはあるが、炎上したことはまだ無い。
 理由は簡単で、そのような批判にも反論しないからである。(これは、一般のメディの批判についても同様である)。
 ネット上の炎上対策は通常の消火法と同じである。酸素を供給しない。「酸素とは反論のことである。先方は反論を求めている。だからわざと隙をつくり、論理が破綻し、事実誤認を含んだ批判を書き送ってくる。これが「餌」なのである。「何をバカな」と反応することを先方は手ぐすね引いて待ちかまえている。
 あらゆるコミュニケーションは不可避的に毒を分泌する。それは不可避である。毒を除去して、対話の場を無菌状態に保とうとするのは不可能なことだ。毒の被害を最小限にとどめる方法についてクールに、テクニカルに工夫するしかない。
 私は匿名の批判には決して回答しない。罵詈や冷笑の語をできるだけ多くの読者の前に黙って置く。ブログの場合、日が経つ内に話題が変わり、書き込まれた批判が時事性を失うと同時に、書き手の焦燥と飢餓感だけが死んだ獣の骸骨のようにそこに残る。
 匿名の悪意がどれほど醜悪であるかは、それを隠蔽したり除去したりせず、満天下にさらすことでより教化的な意味を持つと私は思っている。


白骨の御文章

2007年09月23日 08時46分09秒 | Weblog
それ、人間の浮生(ふしょう)なる相(そう)をつらつら観(かん)ずるに、おほよそはかなきものはこの世の始中終(しちゅうじゅう)、幻(まぼろし)のごとくなる一期(いちご)なり。されば、いまだ万歳(まんざい)の人身(にんじん)を受けたりといふことを聞かず。一生過ぎやすし。今に至りて誰(たれ)か百年の形体(ぎょうたい)を保つべきや。我や先、人や先、今日とも知らず、明日(あす)とも知らず。遅れ先だつ人は本(もと)の雫(しずく)末(すえ)の露よりも繁(しげ)しといへり。されば、朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて夕(ゆうべ)には白骨(はっこつ)となれる身なり。すでに無常の風来(きた)りぬれば、すなはち二つのまなこたちまちに閉ぢ、一つの息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて桃李(とうり)のよそほひを失ひぬるときは、六親眷属(ろくしんけんぞく)集まりて嘆き悲しめども、さらにその甲斐(かい)あるべからず。さてしもあるべきことならねばとて、野外に送りて夜半(よわ)の煙(けぶり)となしはてぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。あはれといふもなかなかおろかなり。されば、人間のはかなきことは老少不定(ろうしょうふじょう)のさかひなれば、誰(たれ)の人も早く後生(ごしょう)の一大事を心にかけて、阿弥陀仏(あみだぶつ)を深く頼みまゐらせて、念仏申すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。