コラ-ジュ廊下展  公民館

2013-03-31 10:48:39 | 
支那事変は昭和12年に勃発してすぐ召集されていった父は、負傷で傷病兵として帰って来れなかったようだ。妹との年の差が7年あるから、かなり長い間のようだ。したがって、保恵でジ-ゼルに乗ったことや軌道の除雪やさらさら流れる小川などの思い出は父が帰ってきてからの思い出なのかな…と今考えている。小学一年生入学するまで保恵にいたから…ね!
冬になると野ウサギなど小動物をわなで取ってきて台所につるして解体して食べていたりもしていた、これで、母は生涯肉が食べれなくなったそうだ。おねしょうをする私におねしょうを直そうと、誰かから聞いてきて何かリスのような小動物を薪スト-ブの後ろで真っ黒く焼いて食べさせられたことも覚えている…ギャ…!







                      

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