女装子愛好クラブ『美少年良太は厳しい女装修行を始めました』(2011年12月11日)に寄せたコメントを加筆修正して読みやすくしたものです。いただいたお返事はここに転載していません。
『流れ星の唄』は文庫本になった時に読みました。梶山先生がゴールデン街の『梢』に行かれたことは『風俗奇譚』の記事で存じています。もちろん1軒のはずはなく、他のお店にもいろいろ行っておられたのでしょうね。
生理綿や生理帯という言葉がちょっと懐かしいけど、若い時にそれほど興味を惹かれることがなかったので私は見たことがありません。私の時代にはタンポンがあり、外出時に何度かつけたことがあります。書いてる途中で気になったので調べてみたら、タンポンは今もあるのですね。ドラッグストアで目につかないのでなくなったのかなと思っていました。
私はもう『上がってしまったトシ』ですが、おトイレが切迫することがあるので外を長く歩く日はパッドを付けています(タックのためにも都合がいいです)。今のものはコンパクトなので付けていることが全然気になりません(忘れてしまいます)
こんなお話を書くのもどうかと少し迷ったのですが、ネイティブさんも(実用的なことを)書くところでは書いてるので、今回思いきって書くことにしました。これも別室を作って書ける場所ができたからなので、きっかけを与えてくださったコーイチローさんには本当に感謝しています。
最後にひとつだけ。梶山先生のお話に時々女装前のオナニーのことが出てきますが、私は(自分の性を思い知らされるのが好きではなく)したことはありません。それと、筆子さんのアドバイスにはわざとらしさも多少感じました。いい子ぶるつもりは全くありませんが、梶山先生は女装さんではないので(これは読んでいてはっきりわかります)考えておられる女装像と私の気分との間に少しズレがあったのかもしれません。
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見出し画像は今年1月にお友だちと淡路島をレンタカー小旅した時のものです。
私が本格的に女装するようになったきっかけのひとつは梶山季之先生の『苦い旋律』を読んだことです。女装子愛好クラブに初めてコメントしたのも『苦い旋律』の紹介記事でした。
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