新・歌の世界

音楽好きのジイさん蜂 吾郎が気ままに綴るブログです。

火野正平逝去と我が写真

2024年12月29日 | 思い
 我が家のDVDライブラリーを整理中、本年11月14日逝去された火野正平さんの『にっぽん縦断 こころ旅』を収録したDVDを見つけました。

 それは2018年11月8日に放映された762日目の『龍神様とへそ石の奇岩』です。永崎海岸に着いてから竜神様のある場所を特定するのに大変ご苦労なさったようです。この場所は我が家から200mの所にあります。震災前なら道路から見えましたが、その後の護岸工事で高くなった堤防で、道路からは全く見えなくなっているので無理もありません。しかし、火野正平さんの『こころ旅で』培った感で見事に龍神様を発見されました。

 火野さん逝去3週間後(12/5)に、私はこの場所で偶然、黄昏を撮る機会があり撮影しNHK福島局に投稿しました。なんと翌日(12/6)に投稿した写真がローカル番組『はま・なか・あいづ』で放映されました。火野正平さん逝去と偶然の写真撮影が無関係ではなかったように感じました。また、その写真がNHKで放映されたことも必然的なことだったのかも知れません。



こころ旅-番組写真① 中継始まり画像


こころ旅-番組写真② 紹介された手紙


こころ旅-番組写真③ 正平さんの感ではトウチャコ!


こころ旅-番組写真④ トウチャコ!間違いなし


こころ旅-番組写真⑤ 龍神様とへそ石


こころ旅-番組写真⑥ 手紙を読む正平さん


NHK福島『はま・なか・あいづ』で放映


投稿した原写真
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神棚のすす払い

2024年12月26日 | 歳時記
 昨日(12/25) は大安でした。新年を迎えるため、神棚のすす払いをしました。
 以前私は、神棚にあるものを全て下ろし、神棚の上に上がり込み、叩きがけをし掃除機かけ、雑巾がけをしていました。数年前から1.8mを超える神棚に上がることは辞めました。上がる時は良いのですが、降りる時の脚立の足場が分かり難く、転落するする恐怖心が先立つようになったからです。手の届くダルマやお神札などは神棚より下ろしました。しかし、三社の大神宮は下ろさず、手の届く範囲でのすす払いにしています。
 思えば漁船員だった父に代わり、子供の頃から神棚のすす払いは私の役目でした。70年以上続けていると思います。形態は変わってきましたか、あと何年続けることが出来るでしょう。正月を迎える我が家の大事な仕事も済ませました。29日に正月飾りをし、新年に備えます。

≪追記≫
 神棚のすす払いを済ませてた昨日、永年の使用で劣化したお燈明を新調しました。今までのお燈明はコンセントに差し込み,壁のスイッチで入切りさせていました。そんなコンセント差し込みのお燈明を探しまた。3軒ほど店を探しましたが、コンセント差し込み式のお燈明はありませんでした。仕方なしに乾電池式のLEDのお燈明を購入。自宅に戻り早速点灯試験をしました。壁のスイッチでの点灯は出来ませんが、本体のスイッチを入れ点灯することを確認、本体のスイッチを切り消灯を確認しました。
 1.8m上の神棚での毎日の点滅作業は『ちょっと億劫かな?』とも思えましたが、私の毎日の仕事としては、さほど問題ないと納得しました。今朝(12/26)に神棚のお燈明にスイッチを入れ、お参りしているとお燈明の灯りが、明るくなったり暗くなったり揺らめいていました。本物のお燈明のような揺めきに感心しました。20分程度過ぎお燈明を消そうと神棚に行ったら、お燈明は消えていました。脚立なしでお燈明のスイッチの入切りが可能な者は私以外いないはず‥‥。クズ籠に捨ててしまった取説を取り出し見てみると、点灯後10分で自動消灯するとのことでした。
 家を改築して約30年、世の中の物の進化は速い、それに比べ我が頭の進化は遅いが退化は速い。ああ〜‥‥、また一年が終わろうとしている。


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年賀状 投函

2024年12月22日 | 歳時記
今年も年賀状を書き終え、本日投函しました

 歳を重ねるとともに年賀状の辞退の知らせや、喪中ハガキの枚数が多くなって来ています。
父が存命中から我が家の年賀状は私の担当でした。書く年賀状も最も多い時期は250枚でも
足りませんでした。父が逝去すると200枚に減り、やがて150枚が100枚に‥、今年は80枚に
なってしまいました。年賀状の減りが、私の命の終演を知らせているように思います。
 私は、一年に一度くらいは、友人や親戚に自分の近況を知らせたいし、その人達の近況も
知りたいと思っています。そんな訳で私自身、体に異常をきたさない限り年賀状を出し続け
たいと思っています。
 そんなことから、今や年賀状の作成はライフワーク上、最大級のなすべき事(仕事)と思って
います。しかし、そう思っていても確実に出来ない日が来ることも十分承知しています。 
 今年の年賀状は4種類作成しました。最も多いのが、親戚や友人向けに家族の近況を書いた
年賀状(年賀状-1)です。音楽仲間用の年賀状(年賀状-2・年賀状-3)や一般用(年賀状-4)もあります。
年賀状-1は何も書かずに、年賀状2~4までには簡単な挨拶や近況を書いています。あなたには
どの年賀状が届きますか?お楽しみにお待ちください。


今年の年賀状の束?

年賀状-1

年賀状-2

年賀状-3

年賀状-4




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転覆船からの救助 ~特殊救難隊

2024年11月29日 | 日記
私は潮騒の町に生まれ、潮騒を聞きながら育ちました。
父は漁船員、また、父の弟三人も漁船員でした。その中の二人が海難事故で亡くなりました。その事故で親(私の祖父)は残る二人に船を降りる(漁船員をやめる)よう諭しました。父の弟はその意見に従い船を降りました。父は船を降り魚屋の行商を始めました。しかし、家を建てたばかりの父は、魚屋の稼ぎでは借金(家のローン)の返済が出来ないことを知り再び漁船員となりました。
その父も北洋サケマス漁に出たある時、北洋の海に落ちました。北洋の冷たい海に落ちたら、すぐに助け上げても命が助かるかどうか分からないとのことですが、死神に取り付かれなかった父は一命をとりとめました。その後も父は生活優先で漁船員を続けました。船長や漁労長の要職に就いた父は、幾人かの部下を海で亡くし、そのことを最後まで悔んでいました。そんなことで、私が船員になることを徹底的に嫌っていました。
私自身、家の前の磯場で多くの船が座礁した光景を数多く見てきました。数百メーター先に座礁した船がいても、荒れ狂う海が救助を拒むのです。必死に救助を求め懐中電灯を振る船員を陸からただただ見ているばかりでした。
航海に必要なGPSなど様々な機器が開発され、今は家の前での船の座礁はなくなりましたが、世の中のニュースを見ていると、船の衝突事故など海難事故は未だになくなりません。人間が人間である以上、人間のミスによる事故はなくならないでしょう。
そんな気持ちでいる私の前に飛び込んで来た、神戸海難事故での生存者救出の動画。感動・感激で見ていました。


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プレミアム12 決勝戦雑感

2024年11月25日 | 日記
プレミアム12にをTV観戦し感じた私の感想です。

日本チームは日本らしい試合をしたのでしょうか?

 日本の野球はち密さが特徴のはずですが、ほとんどそれが見られませんでした。大谷翔平の活躍で大リーグのTV中継が多くなり、豪快な打撃が注目され、バントやエンドランなどの小技(緻密さ)を活かした場面が見ることが少なくなりました。ちょっと待って下さい。大リーグで活躍している大谷は確かに日本人です。しかし、私は彼は特別な日本人であって異次元の日本人であると考えるべきと思っています。それが多くの日本人は、大谷の出現で日本人が全て大リーグで通用するような感覚になっているのではないかと思います。

 プレミアム12の日本の戦いを見ていると大リーグ的戦いで全勝で決勝戦まで進出しまた。決勝戦の台湾戦序盤戦では間違いなく台湾が主導権を握っていました。本来の日本チームならこの展開では、まず先取点を取ることを優先し、無死で出塁した走者がいたなら、バントなどの技を用いていたはずです。ところが、決勝までの大リーグ的戦い方で結果を残したことに過信したようで、走者を進められずゼロ行進でした。勝負ごとに「‥だっタラ、‥すレバ」はありませんが、押されている試合で先取点を取れていれば展開が大きく変わっていたと思っています。また、戸郷の投球を受ける捕手が何でもない球を捕球に際しポロポロこぼしていたのが気になりました。今一つ乗り切れないでいた戸郷が自分のリズムを戻せない要因の一つであったと思います。

 日本チームはここ一番で日本らし野球をできなかった(しなかった)ことが優勝を逸した原因のように思います。


色々ご意見はあるでしょうが、これは私の個人的見解であり特定の方を非難中傷する意思は毛頭ございません。

  明暗 試合終了時の両チームの表情
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