私は潮騒の町に生まれ、潮騒を聞きながら育ちました。
父は漁船員、また、父の弟三人も漁船員でした。その中の二人が海難事故で亡くなりました。その事故で親(私の祖父)は残る二人に船を降りる(漁船員をやめる)よう諭しました。父の弟はその意見に従い船を降りました。父は船を降り魚屋の行商を始めました。しかし、家を建てたばかりの父は、魚屋の稼ぎでは借金(家のローン)の返済が出来ないことを知り再び漁船員となりました。
その父も北洋サケマス漁に出たある時、北洋の海に落ちました。北洋の冷たい海に落ちたら、すぐに助け上げても命が助かるかどうか分からないとのことですが、死神に取り付かれなかった父は一命をとりとめました。その後も父は生活優先で漁船員を続けました。船長や漁労長の要職に就いた父は、幾人かの部下を海で亡くし、そのことを最後まで悔んでいました。そんなことで、私が船員になることを徹底的に嫌っていました。
私自身、家の前の磯場で多くの船が座礁した光景を数多く見てきました。数百メーター先に座礁した船がいても、荒れ狂う海が救助を拒むのです。必死に救助を求め懐中電灯を振る船員を陸からただただ見ているばかりでした。
航海に必要なGPSなど様々な機器が開発され、今は家の前での船の座礁はなくなりましたが、世の中のニュースを見ていると、船の衝突事故など海難事故は未だになくなりません。人間が人間である以上、人間のミスによる事故はなくならないでしょう。
そんな気持ちでいる私の前に飛び込んで来た、神戸海難事故での生存者救出の動画。感動・感激で見ていました。
父は漁船員、また、父の弟三人も漁船員でした。その中の二人が海難事故で亡くなりました。その事故で親(私の祖父)は残る二人に船を降りる(漁船員をやめる)よう諭しました。父の弟はその意見に従い船を降りました。父は船を降り魚屋の行商を始めました。しかし、家を建てたばかりの父は、魚屋の稼ぎでは借金(家のローン)の返済が出来ないことを知り再び漁船員となりました。
その父も北洋サケマス漁に出たある時、北洋の海に落ちました。北洋の冷たい海に落ちたら、すぐに助け上げても命が助かるかどうか分からないとのことですが、死神に取り付かれなかった父は一命をとりとめました。その後も父は生活優先で漁船員を続けました。船長や漁労長の要職に就いた父は、幾人かの部下を海で亡くし、そのことを最後まで悔んでいました。そんなことで、私が船員になることを徹底的に嫌っていました。
私自身、家の前の磯場で多くの船が座礁した光景を数多く見てきました。数百メーター先に座礁した船がいても、荒れ狂う海が救助を拒むのです。必死に救助を求め懐中電灯を振る船員を陸からただただ見ているばかりでした。
航海に必要なGPSなど様々な機器が開発され、今は家の前での船の座礁はなくなりましたが、世の中のニュースを見ていると、船の衝突事故など海難事故は未だになくなりません。人間が人間である以上、人間のミスによる事故はなくならないでしょう。
そんな気持ちでいる私の前に飛び込んで来た、神戸海難事故での生存者救出の動画。感動・感激で見ていました。