gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

記事のタイトルを入力してください(必須)

2016-05-31 16:52:05 | 物語 読み物
≪一期一会≫
ゴールデンウイークの前夜、或る都市のオフィス街の一角、人通りが多い繁華街,昨日から雨の名残か霧雨状となっているのかもしれない。急ぎ足で家路につく人、買い物帰りの人が入り混じって混雑している。みんなそれぞれに思い思いの気持ちを抱いて家路を急いでいる。各家庭にはそれぞれに楽しみにしている家族が待っている。その中に一人とぽとぽ傘もささずに歩いている女性がいた。なぜか人目には物思いに沈んでいるのか虚ろな眼をしているように見えた。そこに一台の車が近寄って来て止まった。「よぉ、愛美君じゃないか、なにをやっているのだ。この雨の中を傘もささずに一人とぽとぽと歩いているなんて、君らしくないぞ。早く乗れ、送ってあげるからさ」ドアの音がバタンと閉まって走りだした。混んでいる車列の中にかろうじて潜り込む。前の車列のテールライトの光が涙で濡れた眼に眩しく映る。突然車が止まった。先頭の車が交差点の信号に止められたらしい。「愛美君何かあったのか?当時の活発な君の姿ではなかったぞ。ところで今君は何をやっているの?」「パートで学校の事務員なの。先輩のように秀才ではなかったし、家では私が学生の頃祖父が亡くなってその後を追うようにして父が逝ってしまってから、祖母と母と私の三人暮らしでその上祖母が認知症でしょう、それで昼夜を問わず徘徊もするから私と母で診ているのだがそれはもう大変」愛美は羨望と憧れの的であった芳樹先輩と狭い空間の中に一緒にいることでさきほどからの心の鬱憤が吹っ切れたのか楽しそうに話し合っていた。同じ学校なのに余り話し合った事がなかった二人にとって懐かしかったのかも知れなかった。先頭の車が動き出したのか芳樹の車も流れに乗って行く 。「先輩は今どこにいるの?」「俺はもともと教員に成りたくて小学校、中学校、高校の免許は取ったのだが、親父がどうしても会社の方が良いってきかないのだ。それで今は課長に成っているのだが。ところで君の家はどこ?」「信号機のある交差点を右におれて三十分位かかるかな」「へェ、ずいぶん遠くから通っているのだね。ところで君俺とつき会ってくれないか。今日会ったのも何かの縁かも知れないよ。君の考えを聞かせてくれないか?今直ぐでなくて良いよ、考えて置いてくれないか。これ俺の最初で最後のラブコールになるかも知れないのだ」「私で良いの?他に一杯いるじゃないの?」「誰もいないよ、俺みたいなむっつり屋の所へ寄って来る人なんか。今度の休みにどこかへ遊びにでも出かけてみようか?遊園地も良いけれど愛美君に山の素晴らしさを見せてあげたいのだよ。ハイキングより一段上のトレッキングでも良いよな、少し疲れるが面白いよ。もうすぐ家に着くよ、集合場所は最初に出会った所だよ」二人にとってこの一週間は長いようで短かった。一抹の不安が有った事はいなめないが。そうこうしているうちに当日がやって来た。「やぁ、おはよう。さぁ出かけよう、道路が混まないうちに行ける所まで行ってしまわないと混んでくるからね。君は山に登った事があるかい?山の樹木一本一本に森の精霊が宿っているってことも知っているよね?山はそれだけ神聖なのだよ。疲れた時、憂鬱になった時とか気持ちが沈んだ時など俺はいつも山に登って来るのだよ」狭い空間の中で二人の会話が楽しそうに弾んでいるうちに時は流れていった。車がどこから入って来たのか急に車列が混んで来た。「車が随分混んで来たなぁ、もう直ぐ駐車場に着くよ、どこに止めようか。さぁ、用意して、トレッキングシューズを持ってきたから履き替えて。さぁ出かけようか」二人は会話を楽しみながら黙々と歩きだした。途中で上から下りてくる人、下から登って行く人、お互いに交差しながら言葉をかけ合って行く。皆山の清々しい新緑澄んだ空気を吸いながら晴れ晴れとした顔つきで去っていく。これもみなクライマーの礼儀らしい。「愛美君疲れただろう。どれ、荷物持ってあげようこっちに渡してくれないか。前方の遠くに見えるのが立山連峰だよ。槍ヶ岳も見えるだろう。少し行った所に山小屋があるからそこで休もう」「荷物ありがとう。お腹空いたからここでお弁当にしましょうよ。先輩の分まで作って来てあげたから一緒に食べましょう。「ありがとう。あぁ、美味しそう、それに彩りも綺麗だね。御馳走になるよ。愛美君にこんな才能があるなんて知らなかったなぁ」「どうせ先輩はコンビニ弁当でしょう、そう思って作ってきてあげたの」暫くの間談笑しながら弁当を食べてからおもむろに愛美が口を開いた。私母を泣かせちゃった。この間の話、母にしたの」「話はわかった、俺も会社から辞令が下りたのだ。それで来週にも宮城の仙台に部長代理で行く事に決まったしね、青葉城のある所。君と少しの間だったけれどとても楽しかったよ。じゃぁお互いに身体にだけは気をつけようね。別れの握手でもしようよ」「これが本当の“一期一会”と言うのでしょうね」青く澄んだ空気の中を橙色の大きな太陽が立山連山の遥か彼方へと沈んで行く。「もう夕方だから帰る支度でもしょうか。疲れただろう?街まで行くのに数時間はかかるだろうから寝て行くといいよ。」車は山道の中、漆黒の闇の道を疾走していく。時々木々の梢から鳥のなき声や羽ばたく音が聞こえてくる。隣の助手席には愛美が死んだように寝込んでいる。先方には車のヘッドライトの光も見えてこない。どのくらい走っただろうか。先方にようやく明かりが見えて来た。信号機の明かりらしい。どうやら街の中に入ったのだろう。愛美はまだ寝ている。「ここどの辺?」「やっと目が覚めたね。家までもう直ぐだよ、早く起きろよ。ほら、やっと着いたよ。じゃぁ、さようなら」「今日はどうもありがとうございました。もう会わないと思うけれど、身体にはきをつけてね」車のドアがバタンと閉まる、車は去っていった。愛美は胸に詰まるものがあったのだろうか、いつまでも立ちつくしている姿があった。